「リン・コンウェイ」の版間の差分

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'''リン・コンウェイ'''([[英語|英]]: '''Lynn Conway'''、[[1938年]] - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[計算機科学|計算機科学者]]であり[[発明家]]。[[カーバー・ミード]]と共同で行った[[集積回路|VLSI]]設計の自動化の研究でよく知られており、[[EDA]]産業の基盤を作った。コンウェイは[[1960年代]]に[[IBM]]で働き、今日[[アウト・オブ・オーダー実行]]として知られる技法の基礎となる動的命令制御法を発明した。
 
コンウェイは[[1968年]]にIBMから解雇された。理由は、コンウェイが[[性転換]]するつもりであることを会社側に告げたためである(男性から女性に性転換)。コンウェイは[[1950年代]]末にも性転換を試みたが、医療技術が未熟であったために失敗している。その後彼女は[[ハリー・ベンジャミン]]の診断を受けて本格的な[[性別適合手術]]を受けた
 
男性として生活している期間に、コンウェイは女性と結婚し、2人の子供も儲けた。IBMでの職を失い、子供との面会もできなくなり、コンウェイは女性プログラマとして人生をやり直すこととなった。[[1973年]]、[[パロアルト研究所]]で働くようになり、ここで[[カーバー・ミード]]と共にVLSIの設計について研究し、有名な著書『超LSIシステム入門』(''Introduction to VLSI Systems'')を出版した。これは[[集積回路]]の技術発展に多大な貢献をしたが、コンウェイが[[性転換]]者(性別移行者)であり長年にわたって隠遁に近い生活を余儀なくされたため、1990年代になるまでその実績も闇に隠されていた。
 
[[1980年代]]初め、コンウェイは[[国防高等研究計画局|DARPA]]で働いた。その間彼女は現在の[[インターネット]]の基礎となる研究もおこなった。その後、[[1985年]]、[[ミシガン大学]]の教授となった。1989年、[[全米技術アカデミー]]に選ばれた。<!-- 何に? フェロー? -->
 
[[1998年]]12月に引退し、完全に女性として生きていくことを決めた。1999年、IBMでの話が公けにされ、以来コンウェイは性転換を望む人々の代弁者として活動している。特にレイ・ブランチャード([[:en: Ray Blanchard]])のオートガイアフィリアや性転換症を同性愛と結びつけ性的倒錯とみなす考えに厳しい批判を行った。そして[[ジョルジュ・ビュルー]]や[[ジョンス・ホプキンス大学]]での翻転法の造膣術を中心とした[[性別適合手術]]の詳細を紹介した論文やの顔の女性化の形成手術について紹介した論文を執筆した。([[性別適合手術]]の項目の外部リンクを参照)そして今日に至るまでを[[MtF]]中心に世界の性別移行(性同一性障害)の当時者を支援し、とりわけ米国のトランスウーマン[[:en: transwoman]]の地位向上にも多大な貢献をした
 
[[2002年]]、コンウェイは1988年から付き合っていた男性と結婚した。
== 関連項目 ==
* [[性同一性障害]]
* [[性別適合手術]]
* [[性転換症]]
* [[オートガイアフィリア]]
 
== 参考文献 ==

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