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m 民主党 (1996-)|民主党
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 1989年(平成元年)の[[東西ドイツ統一]]、また旧[[ソビエト連邦]]の崩壊後、[[カール・マルクス]]及び[[レーニン]]に始まった[[共産主義]]の歴史は一応の終息を見、[[資本主義]]の完全勝利はいよいよ時間の問題とされるようになった。それをアメリカの経済社会学者[[フランシス・フクヤマ]]は”歴史の終わり”と称し、批評している。
 1989年(平成元年)の[[東西ドイツ統一]]、また旧[[ソビエト連邦]]の崩壊後、[[カール・マルクス]]及び[[レーニン]]に始まった[[共産主義]]の歴史は一応の終息を見、[[資本主義]]の完全勝利はいよいよ時間の問題とされるようになった。それをアメリカの経済社会学者[[フランシス・フクヤマ]]は”歴史の終わり”と称し、批評している。
 しかしながら、共産主義国家等は国際政治・経済におけるその思想的影響力を失ったものの依然として存続しており、とりわけ[[中華人民共和国]](中国あるいは中共)は一部において資本経済を導入しているものの共産党による支配であることに変わりはない。また、[[朝鮮民主主義人民共和国]]([[北朝鮮]]あるいは[[北韓]])は依然国際政治における現実的脅威である。
 しかしながら、共産主義国家等は国際政治・経済におけるその思想的影響力を失ったものの依然として存続しており、とりわけ[[中華人民共和国]](中国あるいは中共)は一部において資本経済を導入しているものの共産党による支配であることに変わりはない。また、[[朝鮮民主主義人民共和国]]([[北朝鮮]]あるいは[[北韓]])は依然国際政治における現実的脅威である。
 そんな中、[[日本共産党]]は2003年(平成15年)党綱領を改定し「共産主義([[プロレタリアート]])革命を目指す」という条項を撤廃。また、天皇・皇室を日本国の代表的存在として容認する旨表明した。その日本共産党綱領の改定は[[岡田克也]]新代表を選出した[[民主党]]代表選挙などの蔭に隠れた形となってあまり注目されなかった一件であったが、長年の党改革の末の事後的な条文の改定とはいえ日本共産党が共産主義革命を完全に否定したことは日本史上画期的な出来事であったといえる。2005年(平成17年)には[[不破哲三]]議長自ら今後の共産主義革命勃発の可能性への危惧を語るなど、日本における共産主義界は大きな変化を遂げた昨今である。
 そんな中、[[日本共産党]]は2003年(平成15年)党綱領を改定し「共産主義([[プロレタリアート]])革命を目指す」という条項を撤廃。また、天皇・皇室を日本国の代表的存在として容認する旨表明した。その日本共産党綱領の改定は[[岡田克也]]新代表を選出した[[民主党 (1996-)|民主党]]代表選挙などの蔭に隠れた形となってあまり注目されなかった一件であったが、長年の党改革の末の事後的な条文の改定とはいえ日本共産党が共産主義革命を完全に否定したことは日本史上画期的な出来事であったといえる。2005年(平成17年)には[[不破哲三]]議長自ら今後の共産主義革命勃発の可能性への危惧を語るなど、日本における共産主義界は大きな変化を遂げた昨今である。


 しかしながら、なお残る経済社会学的問題は存在する。
 しかしながら、なお残る経済社会学的問題は存在する。

2005年8月16日 (火) 13:44時点における版

共産主義革命(きょうさんしゅぎかくめい communists' revolution)

 1989年(平成元年)の東西ドイツ統一、また旧ソビエト連邦の崩壊後、カール・マルクス及びレーニンに始まった共産主義の歴史は一応の終息を見、資本主義の完全勝利はいよいよ時間の問題とされるようになった。それをアメリカの経済社会学者フランシス・フクヤマは”歴史の終わり”と称し、批評している。  しかしながら、共産主義国家等は国際政治・経済におけるその思想的影響力を失ったものの依然として存続しており、とりわけ中華人民共和国(中国あるいは中共)は一部において資本経済を導入しているものの共産党による支配であることに変わりはない。また、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮あるいは北韓)は依然国際政治における現実的脅威である。  そんな中、日本共産党は2003年(平成15年)党綱領を改定し「共産主義(プロレタリアート)革命を目指す」という条項を撤廃。また、天皇・皇室を日本国の代表的存在として容認する旨表明した。その日本共産党綱領の改定は岡田克也新代表を選出した民主党代表選挙などの蔭に隠れた形となってあまり注目されなかった一件であったが、長年の党改革の末の事後的な条文の改定とはいえ日本共産党が共産主義革命を完全に否定したことは日本史上画期的な出来事であったといえる。2005年(平成17年)には不破哲三議長自ら今後の共産主義革命勃発の可能性への危惧を語るなど、日本における共産主義界は大きな変化を遂げた昨今である。

 しかしながら、なお残る経済社会学的問題は存在する。  共産主義の対義語であるとされる”資本主義(capitalism)”とはそもそもは共産主義の前段階としての一時的な自由主義(liberalism)という意味合いを持っていた。つまり、資本主義がその極限に達し、そこに刹那主義を生ずるとき、共産主義革命は実行すべき課題となる・・・というのが共産主義者の思想であるばかりでなく資本主義者も不承不承認めざるを得ないことであるとされてきたのが20世紀の世界の思想的現状だったのである。  そこで20世紀末、絶対的反共産主義の立場から問い直されたのが資本主義や自由主義というパラダイムを超えた”保守とは何か”という根本的論議であった。その代表的批評家は西部邁西尾幹二中西輝政などである。それらは望ましい社会像、国家像という観点ではなく、国民の気概(エトス)の重視と、伝統の拠りどころとはそもそも何なのかという”とってつける”ことを極力排除した考察であった。  このような思潮が具体化されていったのが2001年(平成13年)米国におけるジョージ・ブッシュ現大統領の就任であった。一方、日本ではむしろフランシス・フクヤマの想定していたシナリオを具体化するように同年小泉純一郎政権が発足し、西園寺公望による国営郵政事業創設以来の郵政民営化などが政策として模索されている。