「オランピア (絵画)」の版間の差分
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マネはこの作品を[[1865年]]の[[サロン]](官展)に出品したが、「草上の昼食」と同様に「現実の裸体の女性」を描いた事が批判され、落選した。その理由として、「オランピア」という名が当時の[[娼婦]]の通称であったこと、花束を持った黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性は[[サンダル]]と首に巻いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流の[[アカデミック絵画]]において考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なっており、裸体の女性がを当時の娼婦を表している事が明らかであった事が批判の対象となった。 |
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全体的な構図は、[[1538年]]に[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ|ティツィアーノ]]が描いた「ウルビーノのヴィーナス」の構図を借用したものである。また、右側で尻尾を立てている黒猫は1865年のサロン出品の直前にマネ自身によって加筆されたものである。 |
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なお、裸体の女性のモデルは、「草上の昼食」などの1860年代~1870年代前半のマネの多くの作品でモデルを務めたヴィクトリーヌ・ムーランである。 |
なお、裸体の女性のモデルは、「草上の昼食」などの1860年代~1870年代前半のマネの多くの作品でモデルを務めたヴィクトリーヌ・ムーランである。 |
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2008年9月12日 (金) 05:46時点における版
オランピアは、1863年にエドゥアール・マネによって描かれた絵画。オルセー美術館所蔵。1862年から1863年に描かれた「草上の昼食」と共に、マネの代表作といわれる。
解説
マネはこの作品を1865年のサロン(官展)に出品したが、「草上の昼食」と同様に「現実の裸体の女性」を描いた事が批判され、落選した。その理由として、「オランピア」という名が当時の娼婦の通称であったこと、花束を持った黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性はサンダルと首に巻いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流のアカデミック絵画において考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なっており、裸体の女性がを当時の娼婦を表している事が明らかであった事が批判の対象となった。
全体的な構図は、1538年にティツィアーノが描いた「ウルビーノのヴィーナス」の構図を借用したものである。また、右側で尻尾を立てている黒猫は1865年のサロン出品の直前にマネ自身によって加筆されたものである。
なお、裸体の女性のモデルは、「草上の昼食」などの1860年代~1870年代前半のマネの多くの作品でモデルを務めたヴィクトリーヌ・ムーランである。