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「かんかんのう」は、江戸時代から明治にかけて民衆のあいだで唱われていた俗謡。元歌は[[清楽]]の「[[九連環]]」だが、歌詞もメロディー([http://www.geocities.jp/cato1963/midi/kankannoo.mid 試聴])も元歌とはかなり変わっている。「[[らくだ (落語)]]」にも出てくる。
「かんかんのう」は、江戸時代から明治にかけて民衆のあいだで唱われていた俗謡。元歌は[[清楽]]の「[[九連環]]」だが、歌詞もメロディー([http://www.geocities.jp/cato1963/midi/kankannoo.mid 試聴])も元歌とはかなり変わっている。「[[らくだ (落語)|らくだ]]」にも出てくる。


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2008年8月9日 (土) 05:53時点における版

「かんかんのう」は、江戸時代から明治にかけて民衆のあいだで唱われていた俗謡。元歌は清楽の「九連環」だが、歌詞もメロディー(試聴)も元歌とはかなり変わっている。「らくだ」にも出てくる。

歴史

江戸時代の文政3年(1820年)の春、長崎の人が難波堀江の荒木座でおどったことから始まった。「唐人踊(とうじんおどり)」。別名「看々踊(かんかんおどり)」。名古屋、江戸でも大流行した。これは唐人ふうの扮装をした踊り手が、清楽の「九連環」の替え歌と、鉄鼓、太鼓、胡弓や蛇皮線などの伴奏にあわせて踊る、という興行的な出し物だった。庶民も盛んにまねをしたので、流行の加熱ぶりに、禁令(文政5年2月)が出たほどだった。その後も庶民のあいだでは、「看々踊」や、その歌である「かんかんのう」が歌い継がれた。

その歌詞は、バージョンによって微妙に異なるが、以下のようなものである。

 かんかんのう きうれんす

 きゅうはきゅうれんす

 さんしょならえ さあいほう

 にいかんさんいんぴんたい

 やめあんろ

 めんこんふほうて

 しいかんさん

 もえもんとわえ

 ぴいほう ぴいほう

「九連環」の歌詞。明治十年刊『月琴楽譜』より

上記の元歌となった「九連環」の一番の歌詞は、以下のとおりである。

 カン カン エエ スウ  テ キウ レン クワン

 キウ ヤ キウ レン クワン

 シャン シュ ナア ライ キャイ ポ カイ

 ナア バア タウ ルウ カ

 カ ポ ドワン リャウ エエ エエ ユウ

「かんかんのう」は「カンカンヌウ(看看奴)」すなわち「奴(女性の一人称。わたし)をちょっと見て」、「きうれんす」は「キウレンス(九連子)」すなわち「キウレンクワン(九連環)」(チャイニーズリング)、「きゅうはきゅうれんす」は「キュウヤキュウレンクワン(九呀九連環)」、「さんしょならえ」は「シャンシュナアライ(双手拿来)」すなわち「両手で持って来る」、を日本語風に崩したものである。

江戸から明治にかけて、「かんかんのう」を唱っていた庶民の大半は、この元歌が中国伝来の歌であることは認識していたが、歌詞の意味は把握しておらず、一種のナンセンス・ソングとして、意味不明ながら語呂の響きを楽しんだのである。

近年、NHKテレビ「知るを楽しむ」で、5代目・柳家小さんによる「かんかんのう」(らくだ (落語))と、その元歌である九連環の再現演奏が、放送された(2007年4月19日放送、「歴史に好奇心・日中二千年 漢字のつきあい」第3回「まんじゅうこわい」の謎)。

参考論文・図書

  • 三田村鳶魚「かんかん踊」,『三田村鳶魚全集20』
  • 関鼎「中国旋律の日本化--九連環からかんかん踊りの歌へ」 『音楽芸術 Vol.43, No.3』(音楽之友社 1985/03) pp. p90~93
  • 浜一衛「唐人踊について」 『九州大学教養部文学研究会』(1956/01) (通号3)
  • 浅井忠夫『唐人唄と看々踊』(東亜研究會 1933)

関連項目

外部リンク