「今江冬子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Arpeggio (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
 
編集の要約なし
3行目: 3行目:
作家[[今江祥智]]の一人娘として[[東京]]に生まれ、[[1968年]]4月から[[京都市]]上賀茂に育つ。[[1971年]]春、両親が協議離婚したことにより父と二人暮らしになる。父の作品である『優しさごっこ』『冬の光』には、あかりの名で登場。
作家[[今江祥智]]の一人娘として[[東京]]に生まれ、[[1968年]]4月から[[京都市]]上賀茂に育つ。[[1971年]]春、両親が協議離婚したことにより父と二人暮らしになる。父の作品である『優しさごっこ』『冬の光』には、あかりの名で登場。


高校時代、[[佐藤信]]や[[唐十郎]]や[[寺山修司]]の芝居に熱中し、[[吉田日出子]]主演の「上海バンスキング」を観て演劇を志す。高校卒業後、18歳で上京し、[[無名塾]]とオンシアター[[自由劇場]]([[串田孫一]]の息子で、父祥智の友人である[[串田和美]]が主宰)を受験して自由劇場に合格、研究生となる。[[1985年]]12月、串田和美作・演出の「幻の水族館」で役者としてデビュー。稽古中の事故による[[半月板]]損壊で約半年間の療養生活を経て、自由劇場に復帰。
高校時代、[[佐藤信]]や[[唐十郎]]や[[寺山修司]]の芝居に熱中し、[[吉田日出子]]主演の「[[上海バンスキング]]」を観て演劇を志す。高校卒業後、18歳で上京し、[[無名塾]]とオンシアター[[自由劇場]]([[串田孫一]]の息子で、父祥智の友人である[[串田和美]]が主宰)を受験して自由劇場に合格、研究生となる。[[1985年]]12月、串田和美作・演出の「幻の水族館」で役者としてデビュー。稽古中の事故による[[半月板]]損壊で約半年間の療養生活を経て、自由劇場に復帰。1988年に念願だった「上海バンスキング」の映画版で吉田日出子との共演を果たす


[[1991年]]から[[劇団健康]]に参加していたが、[[1992年]]に劇団が解散。[[1993年]]から[[ナイロン100℃]]に参加。[[2003年]]の[[妊娠]]を機に、演劇活動を休止中である。
[[1991年]]から[[劇団健康]]に参加していたが、[[1992年]]に劇団が解散。[[1993年]]から[[ナイロン100℃]]に参加。[[2003年]]の[[妊娠]]を機に、演劇活動を休止中である。

2007年12月29日 (土) 23:03時点における版

今江 冬子いまえ ふゆこ 1963年10月12日 - )は日本の舞台女優オフィススリーアイズ所属。主にコメディエンヌとして評価が高い。

作家今江祥智の一人娘として東京に生まれ、1968年4月から京都市上賀茂に育つ。1971年春、両親が協議離婚したことにより父と二人暮らしになる。父の作品である『優しさごっこ』『冬の光』には、あかりの名で登場。

高校時代、佐藤信唐十郎寺山修司の芝居に熱中し、吉田日出子主演の「上海バンスキング」を観て演劇を志す。高校卒業後、18歳で上京し、無名塾とオンシアター自由劇場串田孫一の息子で、父祥智の友人である串田和美が主宰)を受験して自由劇場に合格、研究生となる。1985年12月、串田和美作・演出の「幻の水族館」で役者としてデビュー。稽古中の事故による半月板損壊で約半年間の療養生活を経て、自由劇場に復帰。1988年に念願だった「上海バンスキング」の映画版で吉田日出子との共演を果たす。

1991年から劇団健康に参加していたが、1992年に劇団が解散。1993年からナイロン100℃に参加。2003年妊娠を機に、演劇活動を休止中である。