「高田眞治」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m +Cat等 |
m +生没日 |
||
1行目: | 1行目: | ||
'''高田 真治'''(たかだ しんじ、[[1893年]] - [[1975年]])は、支那思想学者、元[[東京帝国大学]]教授。 |
'''高田 真治'''(たかだ しんじ、[[1893年]][[8月6日]] - [[1975年]][[11月24日]])は、支那思想学者、元[[東京帝国大学]]教授。 |
||
東京帝国大学漢学科卒、1930年母校助教授となり、ドイツおよび米国、中華民国に留学、帰国後1934年教授、1936年[[文学博士]]となる。また1932年[[漢学会]]を設立し、『漢学会雑誌』を創刊、国家主義的思潮に沿って東京帝大支那哲学文学科を指導、敗戦により教員不適格とされ、1948年退職。その後[[国士舘大学]]教授を務め、長い沈黙ののち、『[[詩経]]』の全注釈を上梓した。 |
東京帝国大学漢学科卒、1930年母校助教授となり、ドイツおよび米国、中華民国に留学、帰国後1934年教授、1936年[[文学博士]]となる。また1932年[[漢学会]]を設立し、『漢学会雑誌』を創刊、国家主義的思潮に沿って東京帝大支那哲学文学科を指導、敗戦により教員不適格とされ、1948年退職。その後[[国士舘大学]]教授を務め、長い沈黙ののち、『[[詩経]]』の全注釈を上梓した。 |
2007年11月19日 (月) 04:36時点における版
高田 真治(たかだ しんじ、1893年8月6日 - 1975年11月24日)は、支那思想学者、元東京帝国大学教授。
東京帝国大学漢学科卒、1930年母校助教授となり、ドイツおよび米国、中華民国に留学、帰国後1934年教授、1936年文学博士となる。また1932年漢学会を設立し、『漢学会雑誌』を創刊、国家主義的思潮に沿って東京帝大支那哲学文学科を指導、敗戦により教員不適格とされ、1948年退職。その後国士舘大学教授を務め、長い沈黙ののち、『詩経』の全注釈を上梓した。
著述
- 易経 岩波文庫, 1937
- 儒教の精神 大日本図書, 1937
- 上代支那哲学史 東京プリント刊行会, 1937
- 支那哲学概説 春秋社, 1938
- 支那思想の研究 春秋社, 1939
- 比較政治学 浜薫明共著 南郊社, 1939
- 時文読本 魚返善雄共編 大日本図書, 1940
- 支那思想と現代 大日本図書, 1940
- 日本儒学史 地人書館, 1941
- 東洋思潮の研究 第1 春秋社松柏社,1944
- 支那思想の展開 第1巻 弘道館図書,1944
- 漢詩大系 詩経 集英社 1966-68