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2007年9月5日 (水) 11:05時点における版
夜叉堂(やしゃどう)は、岐阜県安八郡神戸町にある神社である。明確では神社や寺院とはいえないが、その性格上、神社扱いで記述する。
平安時代に実在したという夜叉姫とその父親である郡司安八太夫安次を祀る。夜叉ヶ池伝説に深く関わる。
毎年8月16日には、例祭である夜叉龍神大祭が行なわれる。
夜叉堂の隣にある萬歳館には、夜叉姫、夜叉ヶ池の資料を展示しており、夜叉姫絵伝や夜叉ヶ池登山往程の図の他、日吉山王祭、善学院などの資料も展示している。
沿革
817年(弘仁8年)、安八太夫安次が、龍神と龍神に嫁いだ娘の夜叉姫を祀る祠を、自宅内に建立したのが始まりという。
1927年(昭和2年)、安八太夫安の子孫、石原家(戸主は代々、石原伝兵衛を名乗る)により、夜叉堂として整備される。また、境内に夜叉姫観音を祀る。
夜叉ヶ池の伝説
817年(弘仁8年)、延暦寺の荘園である美濃国平野庄(現、岐阜県安八郡神戸町)は大かんばつに見舞われた。ある日、郡司の安八太夫安次は、草むらの小さな蛇にため息まじりで、「小蛇よ、もしそなたが雨を降らせてくれたなら、私の娘をやろう。」と語りかけた。
その夜、安次の夢枕に小蛇が現れ、「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう」と語った。すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、作物は生き返り村は救われた。
翌日、約束どおり娘をもらう為、小蛇(=龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。安次には3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、「村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。織りかけの麻布がありますから、これを嫁入り道具にいたします。」と、龍神の元へ嫁ぐことになった。こうして娘は麻布で身をまとい、若者(=龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。
数日後、安八太夫安次は娘に会う為に、揖斐川上流へ向かった。やがて、揖斐川上流のさらに山奥の越前国(現福井県)との境にある池に龍神が住むという話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と告げ、池の中に消えていった。
安次は龍となった娘を祭る為に、池のほとりと自宅に、龍神を祭る祠を建てたという。
この娘の名を“夜叉”といい、池の名を娘の名より“夜叉ヶ池”と名づけたという。(娘の名は不明で、後から池の名から“夜叉”とおくられたとの説もある)
所在地
- 岐阜県安八郡神戸町安次517 (石原家 内)
- 夜叉堂は石原家個人の所有である。その為、参拝する際は事前予約が必要である。
交通機関
その他
- 夜叉姫は、夜叉龍神社などで夜叉龍神として祀られている。