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ノート:ジェンダーフリー/過去ログ2

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これはこのページの過去の版です。Loxfongmard (会話 | 投稿記録) による 2006年8月24日 (木) 18:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎中立的な観点)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。


テンプレートについて

中立的な観点

中立的な観点からみて疑問が多い記述なので、+NPOVしました。 容易に修正できるところは、以下の通り、いくつか修正しました。

■(冒頭の定義)…考え方であり、事実上日本【でしか】使われない用語となっている。

 1 定義と、当該用語に対する否定的位置づけを一文とする記述は中立的ではない。

 2 例:日本語は、もっぱら日本【でしか】使われない/日本語は、もっぱら日本【でのみ】使われている …前者は中立的記述ではない。

 3 和製英語は、当然に日本でしか用いられないことを含意するから、定義に続けて和製英語であると紹介すれば、中立性を保ったまま用語の使用状況を示せる。なぜ現在のようなことさらに恣意的な記載になっているのか、相当に疑問。

 4 そもそも、ジェンダーフリー(gender-free)という英語があり、意味が違うと説明されている。その箇所の説明が正当なら、(ジェンダーフリーが学術用語であり、一般的な用語でない以上、英語圏で知られた意味に従わなければ、間違った用法であるということにはならず、規定の違いは研究者の裁量の違いの問題であることになるため)和製英語とは言えないことになる。

 (以上の点は、あくまで中立的な観点から見て不備がある(1~3)、和製英語というみなしは論理的には成り立たない(4)という指摘です。ジェンダーフリーという用語(法)の妥当性を問題にしているのではありません。)

■社会的文化的性差である【(とされる)】

 (とされる)と()つきの受動態で補足すると、普通の読者は「とされ(た)」上に()内のように疑問を呈することが妥当だという考えに誘導される。

■欧米における「ジェンダー・バイアス・フリー」に相当する。【この表現の方が】性に関する社会的・文化的偏見を除去する姿勢が【より明白である】。

 Wikipediaは特定の立場からする論評の場ではない。

■・(冒頭付近)「社会的文化的性差である(とされる)ジェンダーにとらわれず、個々人それぞれが自分らしく個人としての資質に基づいて果たすべき役割を自己決定出来るようにしようという考え方、運動である」と【推進側は捉える】  ・ジェンダーフリーを批判する一派にカルト宗教が係わっていることで【問題はかえって複雑化】しており、批判側にカルトが係わっていることを【喧伝する】ことで、ジェンダーフリーという【和製思想】を守ろうという言動が【ジェンダフリー保守派】に多く観察される。

 定義に続く立場の紹介の段階で、直ちに「推進側は捉える」という紹介の仕方をすることは、中立性に反する(見解の紹介自体に、反対の立場の存在を連想させるような形式を含めることは見解の紹介の仕方として不適当)。また、【推進側】は、この項目を調べる人、つまり、この項目についてあまりなじみのない人にとって、思想を普及するごく狭い主体を暗示する表現である(自分になじみのないものが、多くの人によって主張されていると連想する人はまずいない)。そこで、無難な【推進側】→賛同派に変更した。対立側が「批判派」となっていることからも妥当な変更である。「推進側」と規定するなら、批判派は【阻止派】とでもすべきだ。【推進派←→阻止派】という対置を踏まえ、改めて修正前の【推進派←→批判派】を見ると、偏った規定であることが明白である。

 【問題はかえって複雑化】【喧伝する(…いいニュアンスでは殆ど使われない)】は、ジェンダーフリー批判派に誘導する書き方になっている。【和製思想】という語には、前後で用いられている【和製英語】などと関連して、思想内容を理由無く矮小化する効果がある。  主語を明示して、【ジェンダーフリー批判派は、ジェンダーフリーを批判する一派にカルト宗教が係わっていることで、問題はかえって複雑化していると考えている。】【ジェンダーフリー批判側にカルトが係わっていることを賛同側に批判されることは、ジェンダーフリー(という和製思想)が守られることに繋がると考えている】と、暗示的でない書き方に直せば、当該記述の意味が次の通りであることがわかる。すなわち、ジェンダーフリー批判派は、(ジェンダーフリーを批判しているのだから、ジェンダーフリー批判派に含められて当然であるはずの)カルトを、批判派から定義レベルで外したい(もっとはっきり言えば、本項目の読者の理解から外したい)。そこで、ジェンダーフリー賛同派が批判派にカルトを含めることを【喧伝】していることにし、外すことが正しいと読者に暗示し誘導しようとしている。

■外部リンクについて、批判的なものを含めるのであれば、読者がそのタイトルだけで印象付けされてしまわないよう、冒頭に「批判的なものを含む」などの断り書きを入れたり、明示的に賛同派・批判派に分けて記述するなどの工夫をすべきです。

あまりにも暗示的な記述が多すぎます。Loxfongmard 2006年8月1日 (火) 13:25 (UTC)

特定の立場の正当性を読者に暗示する目的で付された強調を解除しました。百科事典的な観点からは、強調の使用は、読者のタームの記憶を助けるなどの、中立的な目的に限定されるのが適当です。特定の理解の正当性や重要性を強調するために用いるのは中立的な観点に反します。Loxfongmard 2006年8月1日 (火) 15:46 (UTC)


ジェンダーは「性差」ではなく「性」です。「ジェンダー・イクォリティ」は「差の平等」ではなく「男女平等」です。さらに詳しく書くと「ジェンダー・イクォリティ」は「生得的性(男女)の平等」です。誤用しないように気をつけて下さい。英文上のgenderは普通、生得的男女性を指します。お手元の英英辞典をご参照下さい。

★利用者 59.171.23.76、61.214.214.191 の修正について;
■>米国のフェミニストには、【意味の通じない用語】
 「意味の通じない」という言い方には、強い否定的なニュアンスを暗示する効果があるので、百科事典の解説に用いるのは不適当です。
■>以下のリンクには、ジェンダーフリーに【肯定的な】立場のものが含まれている。
 わざわざ【批判的】→【肯定的】と直された上、肯定的・網羅的な解説ページ([1]ジェンダーフリーとは(成城トランスカレッジ.com))を最下段に移動されましたね。あなたは、左のページを読者に見られたくない・強く否定してかかる読み方をさせたいと思っているようですが、そのような希望を、本文に暗示的記述を含めることによって実現しようとするのはやめてください。そのような記述を行うことは、肯定・否定いずれの立場に立つかに関わらず、まっとうな判断力を備えた人から見れば、ただ見苦しいだけです。
 ある項目の記事の外部リンク先に、ある項目の立場に肯定的なものが含まれるのは、ごく当たり前のことです。当たり前であるにも関わらず、わざわざ「肯定的な立場のものが含まれている」と断った上、否定的な立場のものを上の方にもってきますと、ある項目で紹介された立場に対して【否定的であることが当然】であると読者に暗示することになります(実質的な理由と無関係なく、記述の配置によって読者を特定の立場に誘導しようとすることは不適切です→中立的な観点)。
 暗示的手法を、Wikipediaで多用しようとしても、そういう手法が、指摘され批判されるのは時間の問題です。いざ批判されてしまえば、そのような手法を用いた立場への信頼性を大きく毀損することになるだけです。横行すれば、Wikipediaへの信用も損なわれます。やめてください。Loxfongmard 2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC)


根拠を示すことなく「主に」、であるとか「多い」、「~と言われる」といった曖昧かつ主観的な表現を止めましょう。「~だ。~である。」と書ける内容にして下さい。ウィキペディアの「言葉を濁さない」のガイドラインをお読み下さい。59.171.23.76(コメント位置補正・署名付加 Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 07:45 (UTC)


★投稿者 59.171.23.76 氏へ
■私によるあなたへの批判は、2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC) 「意味の通じない」という言い方には、強い否定的なニュアンスを暗示する効果があるので、百科事典の解説に用いるのは不適当です。」です。これは、根拠を示していない文章ではありませんし、曖昧だったり、主観的な見方に基づいた表現でもありません。あなたが現に行った記述に対する(正しい、ガイドラインに基づいた)批判です。自身への批判を完全に無視して、どこに関係があるのか(特に第三者に)一見してよくわからない仕方でガイドラインを持ち出し、一般論を述べてごまかそうとするのはやめてください。ガイドラインは自己正当化のための道具ではありません。
■また、ウィキペディアの「言葉を濁さない」のガイドラインで批判されているような表現を行ったのは、あなたです。
>2006年8月4日 (金) 16:02の版 (編集) 【59.171.23.76】 (ノート) (中略)
>【主に】日本において「社会的文化的性からの自由」を目指す考え方である。米国のフェミニストには、【意味の通じない用語】である。」(【】は引用者)
(版間での差分:[2]
あなたは、版間での差分:[3]の修正を行ったときに、私の記述を直したと勘違いしたようですが、私はあなたの記述のひどい偏りを、簡単に修正できる範囲でましにしただけです。もともと偏った記述をしたのは、あなたです。
ウィキペディアの「言葉を濁さない」のガイドラインには、
>以下の一文は、明らかに偏った文章です。
>モントリオールは、世界で最も格好いい都市である。
>言葉を濁すことによって、中立的な観点に立っているという思い違いを起こさせることがあります。
>モントリオールは、世界で最も格好いい都市であるとも言われている。
と書かれていますが、上の説明にいう「明らかに偏った」「言葉を濁」した文章を書いたのは、あなたです。「曖昧かつ主観的な表現を止めましょう。」という批判は、ご自身へ向けてください。Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 07:45 (UTC)
■2006年8月5日 (土) 17:12 61.214.214.191 から、2006年8月6日 (日) 01:58 59.171.23.76 にかけて、2006年8月1日 (火) 13:25 (UTC) ・2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC) で、すでに指摘した、不当な手法による記述がまた行われたようですので、簡単に修正できる範囲で修正しました。
■本文の実質的な内容を特定の立場に偏らせることの不当性、百科事典として正当・常識的な記述とは何か、等の問題に関して、まともな了解を期待するには程遠い状況ですので、そうした点に関しては特に指摘しませんが、特定の立場に読者を誘導するために暗示的手法を用いる、外部リンク先を特定の立場に都合のよい配列にする、等の手法が間違っていることを認め、やめるべきだという了解くらいは、せめて持ってもよさそうなものではないでしょうか。私が指摘した問題は、かなり一般的なことです。あなた方の書き方は、むしろあなた方がなさっている記述内容に対する一般的信用を、大きく落とすことにしかならないですよ。Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 08:18 (UTC)


■「関連項目」以下
>*田嶋陽子:ジェンダーフリーに肯定的な発言が目立つ上に、ジェンダーフリーの為なら言論自由の弾圧を肯定する旨の発言をしてる。
>参照TVタックル<ジェンダーフリー特集>その2」の193と194
(版間での差分:[4]
という記述のうち、関連項目の指示(田嶋陽子)以外を削除したことを、明示しておきます。削除した理由は、1 上の引用部は、百科事典に対する一般的な信頼を保つために要求される体裁・形式の一貫性をわざわざ無視している(関連項目の指示を行うはずのところに、なぜか外部リンクを含めている)。そのため、記事の中立性が損なわれている。 2 リンク先の193・194以下を直接確認すれば明らかだが、「言論自由の弾圧」を肯定する旨の発言はされていない。同195・196まで見れば文面上明白である(米田 これはもうファシズムじゃないですか。 田嶋 そんな事無いよ、凄くいいじゃない。)。「言論自由の弾圧を肯定する旨の発言をしてる」と引用した者は、<「米田」側に立った評価>と<田嶋氏の発言>を区別できていない。よって、引用が意味をなしていない。わざわざ説明を行う必要があるほどのこととは思えませんが、念のため補足しておきます。Loxfongmard 2006年8月6日 (日) 09:54 (UTC)


中立的な観点の「中立性の方針は、執筆者が自分の立場だけでなく、自分と反対の立場についてもきちんと説明するように求めています。」という説明はとても重要だと考えていますが、その意味において、肯定側の外部リンクが不足しているのに加え、ジェンダーフリーの定義が、やや一面的だと考えています。学者によって、また出典によって定義が違うからです。各立場からの充実を望みます。(私も力不足なのですが)--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 09:22 (UTC)

(利用者の方へ) IP:59.171.19.210=ディズニースピリット氏については、#Wikipedia:個人攻撃はしないをご覧ください。Loxfongmard 2006年8月24日 (木) 18:15 (UTC)

「出典の明記」を付加した理由と、その意義

+unreferenced しました。1 沢山の事例が記されていますが、その殆どに出典の表記がなく、2 そもそも存在や位置づけ(ジェンダーフリーに関わる事例かどうか)に問題のある事例については、否定的立場からの指摘・解釈をそのまま踏襲する手法に終始しているからです。

すでに批判した通り、現在の記事は、中立的な観点からみてかなり問題のある記述です。内容はもちろん、手法・構成・形式のレベルで不適切な記述があまりにも多いです。ですから、ここでの +unreferenced には、現在の記事に出典が追加されていけば、問題は解決されるという意味は全くないことに注意してください。あくまで、「中立性だけが問題で、書かれている事例は真実である」といった理解(誤解)をしないよう読者に注意を促すために付加しました。Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC)



宗教関係の記述について

宗教関係の記述をまとめました。ジェンダーフリー論争に統一教会の記述は欠かせないことに加え、それが批判派への攻撃にならないよう配慮しました。文章には事前相談願います。統一教会を扱った文章は、裁判リスクも含め、危険です。



外部リンク(関連リンク)について

Wikipedia:節の「関連項目」の置き方に、「単に一つの節にのみに関連する「関連項目」は、その節の中に置いて下さい。」とあります。 外部リンク先が内容によって整理されることなく並んでいることは、不合理で違和感がありますので、一般的解説のみを最後の「外部リンク」節に残し、他のリンクは関連する節に「関連リンク」節をつくって、そこに配置しました。-Loxfongmard 2006年8月24日 (木) 18:10


関連文献・外部リンクの分類について (1)外部リンク先のサイトの立場を明示する必要性、他

中立性の観点から、外部リンク先のサイトの立場の明示を復活させました。理由はすでに説明したとおりです(Loxfongmard 2006年8月5日 (土) 02:41 (UTC) 、Loxfongmard 2006年8月1日 (火) 13:25 (UTC) など)。異なる立場からの解説をそれと断らずに並べることは読者の理解を混乱させるだけですから、やめてください。また、ジェンダーフリーに対する否定的な立場・サイトを本文に含めることは全く問題ありませんが、冒頭・概要の段階から修正しきれないくらいに否定的立場からの主張や疑わしい事実関係の羅列によって埋め尽くした上、外部リンク先の紹介においても、否定的立場→肯定的立場の順で紹介するような露骨に偏った・誘導的な記事を書くこともやめてください(版間での差分:[5])。Wikipediaは特定の立場の優越性を唱導するための場ではありません。

※「修正しきれないくらいに」… 構成・形式ゆえに「修正しきれない」という意味です。例えば、項目名が示す立場の意義を説明する段階に否定的主張を含めてしまっているために、正しく修正するためには全文を書き改めなければならないような状態になっていること等を意味します。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 10:33 (UTC)


☆肯定・否定の順に並べ替えることに賛成します。しかし、「成城トランスカレッジ」という名称は大学と紛らわしいため、正体不肖の個人ブログであることを明示しました。「バックラッシュ!」の寄稿はしている方のようですが、肩書きが不明です。ぜひ並び替えて、肯定リンクが少ないことをアピールしてください。(山口智美氏は個人名だけでしたので、現肩書きを追記してみました)☆

整理して並べ替えて、見やすくしました。よりリンクが充実することを期待します。--ディズニースピリット 2006年8月16日 (水) 12:20 (UTC)
私が行った記述よりも、よくなったと思います。コメントありがとうございます。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 12:23 (UTC)
【肯定的リンク】【否定的(批判的)リンク】【語源についての考察リンク】という表記については、再度修正させてもらいました。前2者は、肯定的・否定的なのはリンクではなく解説なのでちょっと変な感じがしました。また、否定的→批判的 は、批判的という形容は、肯定・否定の立場の別に関わらず、あてはまりうるので、根拠に乏しい変更だと思います。語源についての考察 は、語源=単語の成立の起源であり、やはり元の表記の方が、ある概念の用法の混乱に関する説明であることが適切に示せているのではないかと思いました。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 12:41 (UTC)


「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源(山口智美)は、

「昨今のバックラッシュの中で、右翼や保守派は「ジェンダー・フリー」という言葉を攻撃の格好の的にしていることを考えると、この概念をめぐる混乱の影響は看過できない。」
「11月号の三井マリ子論文中で紹介されている、日本会議の機関誌「日本の息吹」や、山口県に本部を置く「日本時事評論」でも、ここ2年ほどの間、「ジェンダー・フリー」への批判記事が急速に増えたのが目につく。そこでは、「ジェンダー・フリー」の様々な「起源」がねつ造されている。」
「例えば、スウェーデンのフェミニストが提唱したという説(総山孝雄「日本の息吹」2001年10月号 pp.12~13)。「ジェンダー・フリー」は「犯罪大国スウェーデンがお手本」であり、「フリーセックスの別称」などとなる。あるいは、マルクス主義起源説。大沢真理がフランスの学者デルフィの論に依拠していることから出てきたようで、これに基づき「過激な文化破壊思想」「共産主義的カルト思想」などと述べられている(八木秀次 「日本時事評論」 2003年5月3日号 p.3)。そして「ジェンダー・フリー」造語説。和製英語であることを強調し、サッチャー政権下のイギリス、ブッシュ政権下のアメリカなどを例に挙げ、男女平等推進の動きは、あたかも「世界的な流れ」のようにいわれているが、まやかしにすぎないとこじつける(新田均「日本の息吹」2003年12月号 pp.20-21) 。」

といった記述から明らかなように、現在の本文や、外部リンク【否定的な立場からの解説】に属するような言説(リンク先の説明では、ジェンダーフリーが、男女混合名簿・社会主義などと結び付けられたりしています)に対して否定的な立場から書かれていますので、【ジェンダーフリーという概念の起源について】という項目を立て、そこに含めました。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 12:23 (UTC)

★投稿者 220.96.163.238 氏へ
2006年8月16日 (水) 11:48 の編集では、根拠無く立場の明示を削除し、否定的立場から紹介する編集をしていましたが、今度(2006年8月16日 (水) 15:42)は、【ジェンダーフリーという概念の起源についての考察】を、根拠無く削除して 「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源(山口智美:シカゴ大学東アジア研究センターポストドクトラル研究員)を、肯定的立場に含めましたね。左のリンク先を読めば、肯定的立場からジェンダーフリーを解説した文章ではないことは明らかなのですが、なぜそういう根拠の無い編集をするのでしょうか? そういうことはやめてください。
また、【肯定的立場】【否定的立場】を、【賛成派の立場】【反対派の立場】と変更されましたが、「派」は、立場を指すのですから、あなたの変更は「頭が痛い」とあるのを、「頭痛が痛い」と変更しているようなものであり、意味不明です。否定したい立場による編集の編集を自己目的化するかのようなふるまいはおやめください。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 16:16 (UTC)


○同室着替えについて  あれは何故削除されてしまったんですか?  それと肯定派、否定派とレッテルを貼るようなやり方ですし、曖昧な文章に関しては解釈が難しくなるので、このような分け方をせずに削除し、順番に関してはアイウエオ順にするのはどうでしょうか(関連文献に関しては書名とし、アルファベット表記に関してはカタカナ表記に置き換えて考えるとします。)2006年8月16日 (水) 16:40 スマイル (署名付加:Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 17:06 (UTC)

「レッテルを貼るようなやり方」という根拠の無い印象付けこそ、レッテル貼りの最たるものです。ある争点について、肯定的・否定的いずれの立場から議論がなされているかは、1 外部リンク先のタイトルを一瞥したり、外部リンク先のトップページを見るだけで、十分「解釈」できますから、「曖昧な文章に関しては解釈が難しくなる」かどうか問題にする意味はありませんし、2 一般的な読者にとって明らかに有用な情報ですから、 削除する合理性はありません。また、リンク先や書籍の内容と脈絡無くアイウエオ順にすることは、外部リンク先を確かめるために読者が労力をかける余地を残すことで、形式的にリンクを参照されにくくするだけでしょう。そもそも、本文解説中でも同様の表現が多用されているのに、それには全く触れずにリンク先の分類についてだけ削除したがるのは、奇妙な態度です。
また、同室着替えを削除したのは私ではありませんが、削除には理由があります。[6] で紹介されている、文部科学省が行った「ジェンダーフリー教育調査」に関する産経新聞の記事によりますと、「(同室着替えは)施設面の問題によるもので、性差を否定するジェンダーフリー教育に基づくものではない」とされています。Loxfongmard 2006年8月16日 (水) 16:58 (UTC)


関連文献・外部リンクの分類について (2)外部リンクの区分について / ジェンダーフリーの定義・『誤読』による『誤用』問題

私も参考文献は立場で分けたほうが親切だと思います。ジェンダフリーは真理ではなく「運動」ですので、運動側と反作用的立場は分けたほうが理解しやすいと思います。しかし、双方の意見をまんべんなく紹介する本もあるわけで、肯定対否定ではなく、内容により三分割、四分割もありかと思います。分けることでどちらかの立場の参考文献が「多過ぎ・少なすぎ」ということが分かって良いです。別件ですが、山口智美氏は確かにジェンダフリー推進側ですが、日本での「ジェンダーフリー」という用語の使われ方は「誤訳」だと明確に指摘しています。この件に関しては定義部分に含めることが適当であると、私は判断します。下に落とすのは適当ではないと思います。「バックラッシュ!なぜジェンダーフリーは叩かれたのか」においても全体的に「日本での使われ方は誤用」という線でまとまっていたように思います(宮台氏・山口氏・その他)。上野氏の意見は本文のとおりです(用語に否定的)。--ディズニースピリット 2006年8月19日 (土) 13:09 (UTC)


現在の肯定・否定の分類は、本文の記述に即した形で行いました。本文が大幅に改善されれば、数種の分類が必要になることは当然あると思います。しかし、現状では、肯定的立場を含めて紹介する本は、否定的立場から見て、肯定的立場に含められるでしょう。否定的立場の外部リンクを見れば顕著なように、むしろ真意としては、個人主義を否定しているような立場が「否定的立場」だと言えますから、さしあたり、そういう「否定的立場」でない(満遍なく立場を紹介するような)立場は、事実上「肯定的立場」に属するということになってしまうからです。
現在の本文の記述のレベルは、ジェンダーフリー「推進」派と問題意識を共有する(「肯定」する)中で方法論が分かれ、いくつかの微妙な立場に分かれる、というような段階には全く至っていないと思います。現に、山口氏のリンクを、否定的立場を批判しているという私の指摘を見て、肯定的立場に含める編集をした人がいます。
ところで、山口智美氏は、[7] を読む限り、(現在の本文の分類における)肯定的立場と問題意識を共有しているとは言えても、ジェンダーフリー推進(肯定)派とは言いがたいと思いますが(後半参照。単に誤訳だから問題だと指摘しているわけではないようです)、どうでしょうか。
また、「この件に関しては定義部分に含めることが適当である」としていますが、それには賛成できません。言葉の意味づけを内容としていますから、いかにも定義の問題に感じられますが、実際には日本語として普及しているところの「ジェンダーフリー」の意味とは関係のない、概念成立の経緯に関する話題だからです。概念成立の経緯を定義に含めることは、とくべつな理由なしに採る意義のある方法ではありませんし、この記事の場合、すでに指摘したような誘導につながる面が強いし、現にそうなっています。それに、「誤訳」と「誤用」は違います。それを混同する論理ですと、和製英語の使用や、英語圏で知られていると言える用法に反する英語由来の用語の使用は、すべて「誤用」ということになってしまいますが、そのような意味で誤用という言葉を使うことは、到底一般的とは言いがたいのではないでしょうか。「誤用」で一致していたのであれば、そのような批判がなされているという形で、適切な位置に記述すれば足りると思います。「誤訳」ならば、定義の部分で触れるべきだと言うことにならないことははっきりすると思います。用法とは関係のない話だからです。Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC)


「ジェンダーフリー」という用語は普及しているとは考えておりません。政府も使っておりませんし、東京都に至っては使用しないよう通達を出しているほどです。また、普通に道を歩いている人に正確な意味を説明せよと聞いても答えられないでしょう。そもそも専門家の間ですら議論があるのはご存知のとおりです。恐らく「魅惑のチキルーム」よりも知名度がないのではないでしょうか。もちろん私はこの分野に興味があるから知っているのですが。。しかし、説明せよと言われたら、「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません。その意味において、また国際的に通用しない用語であることから、学術用語だとも言えないと考えます。「学術用語」の定義を見れば明らかだと思うのですが。。。--ディズニースピリット 2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) (コメント位置補正:Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 16:19 (UTC))


ディズニースピリットさんが、2006年8月19日 (土) 13:09 (UTC) で問題にしていた論点は「ジェンダーフリーが誤訳・誤用であるか」です。「ジェンダーフリーという用語の普及度」「多義性ゆえの説明の困難さが認められるか」ではなかったはずです。一方的に論点をすりかえて 2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC) への反論を装うのはやめてください。
以下は、2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) へのコメントです。
1 「普通に道を歩いている人」が「正確な意味を説明」できるかどうかで普及の度合いを論ずるなら、大抵の概念は普及していないという結論になりそうです。例えば、国家、政府はどう考えても普及している概念ですが、それらの正確な意味を説明できる人が多くないとしたら、その概念は普及していないことになるのでしょうか? そんなわけはないですよね。
2 また、「専門家の間ですら議論がある」ならば、普及していない、学術用語(広辞苑には「学術研究上の専門用語。テクニカル-ターム。術語。」とあります)でない、という考えも不可解です。例えば、良く知られている上に学術用語であることも明らかな民主主義の意義について「専門家の間ですら議論があ」ります。議論がある民主主義は、知られていなかったり、学術用語でなかったりすることになるのでしょうか? また、日本で生み出された学術的理論があり、その中で使われる用語があったとして、それが国際的に知られていなければ、学術用語でないとは言えないでしょう。
  そもそも、ディズニースピリットさん自身「しかし、説明せよと言われたら、「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません。」としています。「学者」とは、学術研究に従事する者を意味します。そうだとすれば、ジェンダーフリーは当然学術用語であることになります。学者の肩書きを持つ者が、学術研究の名に値しない議論しかしていないという評価をすることや、ジェンダーフリーの学術的意義が低いと論ずることは当然可能ですが、学者が論じてしまっているならば、それを批判の対象として引いて論ずる(まともな)学者の俎上にのってしまう以上、ジェンダーフリーは学術用語であるとディズニースピリットさん自らが認めてしまっていることになります。
3 それから、自治体が使用しないようわざわざ通達を出していることは、むしろある程度普及していることを示す事実のようにも思えるのですが。少なくとも、そのことから普及していないという結論を論理的に導くことは無理です。政府が使っているかどうかを基準にするのも不可解です。政府が使っていなくても、普及しているという可能性は明らかにありうるからです。ディズニースピリットさんの議論は、結論ありきで根拠をこじつけている感が否めないです。Loxfongmard 2006年8月19日 (土) 16:19 (UTC)


山口氏は『誤読』による『誤用』と表現しておりました。『誤訳』ではありませんでした。お詫びして訂正いたします。山口氏は「ジェンダー」を「社会的文化的性差」と訳すことを『誤訳』だとおっしゃっています。それと混同いたしました。申し訳ありません。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)
【1について】 広辞苑によると、『普及』とは「広く一般に行きわたること」とあります。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)
【2について】 確かに広辞苑には「学術研究用の専門用語」とあります。しかしながら、「学者が論じたら学術用語」ではないと思います。wikiの項目に「学術用語」の定義がありますので、一度、ご確認いただけないでしょうか?ちなみにフェミニストの上野氏は「学術用語ではない」という見解です。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)
【3について】 繰り返しになりますが、広辞苑によると、『普及』とは「広く一般に行きわたること」とあります。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 01:55 (UTC)
「ジェンダーフリーが学術用語とは言えない」という一例を挙げますが、「バックラッシュ!」という著作の中でフェミニストの上野千鶴子氏は「ジェンダーフリーは和製英語だが、ジェンダーは学術用語である」との主旨の発言をしています(379p)。文章の内容から上野氏が「ジェンダーフリー」を学術用語だと認めていないことは明らかです。私も同意見です。定義が定まっていない用語を、あたかも定まっているかのようにTOPで定義してみせるのは、間違った情報を流布することになると考えます。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 00:33 (UTC)
(コメント位置補正・【~について】付加:Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 05:32 (UTC)


ディズニースピリットさん、相手の文章をオリジナルの形で読めないように一方的に分断して自分のコメントを挿入するような、相手の文章の趣旨を第三者から形式的にわかりにくくすることで「反論」するような編集はおやめください。版間での差分[8] のような形にすることで、前後関係が非常に分かりづらくなっています。相手の文章を細切れにして分かりにくくしたいのでしたら、自分が行う引用の中でそのようにし、第三者が自分のコメントのみを読むように祈る程度にとどめてください。
>山口氏は『誤読』による『誤用』と表現しておりました。『誤訳』ではありませんでした。…
訂正されたことは良いのですが、それだけでは、ディズニースピリットさんが結局何を指摘する意図だったのかはっきりしません。『誤読』による『誤用』が、日本におけるジェンダーフリー概念の使用の発端になっているとして、その後、その『誤用』が、日本国内で踏襲された場合、踏襲した人の落ち度を問題にすることは当然できるとしても、その踏襲が無視できない程度に広い範囲でなされ、一定の認知を得てしまった場合には、単純に誤用とできない側面が出来てしまうはずです。
例えば、「行う」が日本語の規則上正しくても、「行なう」というつづりがある程度定着していれば、後に「行なう」も正用として認められることがありうるようにです。
概念はその概念を使用する論者が示す理由によって規定されるのであり、時系列的に前の時点において確立した用例に従うかどうかによって規定されるという前提には、学術的な根拠はないでしょう。前に確立した用例に従うかどうかは、概念の使用(正用・誤用)にとって、あくまで一つの考慮対象です。
例えば、ジェンダーフリーは「完全な和製英語である/和製英語であると認める」と論じてしまえば、最初に誤読していたかどうかに関係なく和製英語的意味が正用になりえます(このように論ずるべきだと示唆しているわけではありません。あくまで『誤読』ゆえに『誤用』という議論が論理的に成立しないことを示そうとしているだけです)。私の議論は、理屈だけ聞けば大抵の人があっさり同意する種類の話だと思うんですが…。
※上の文中の「ジェンダーフリー」が仮に何らかの文脈で正用となったなら、最初の『誤読』による『誤用』が生じなかったことになる、としているわけではありません。念のため…。
>【1について】・【3について】  広辞苑によると、『普及』とは「広く一般に行きわたること」とあります。
私は、1 あなたが 2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) で示した、<「普通に道を歩いている人」が「正確な意味を説明」できるかどうかを、普及度を測る基準にする考え>によれば、「広く一般に行きわた」っている=『普及』しているはずの概念の多くが普及していないことになりおかしい、それは<普及していない>と結論づけるためにこじつけられた理由付けに過ぎない、 3 <自治体が使用しないようわざわざ通達を出している>ことを、<普及していない>根拠としているが、それは論理的におかしいし、政府も使うかどうかで普及度を測るのもおかしい、 …と批判したのです。
あなたは、普及を、1のように、広辞苑の定義よりもずっと狭い意味に使っていたし、3は常識的に考えて普及と無関係な議論であるか、せいぜい普及を推測させる事情(自治体の例)ですから、あとで広辞苑の定義をただ述べても反論になりません。不可解なだけです。
>【2について】 確かに広辞苑には「学術研究用の専門用語」とあります。しかしながら、「学者が論じたら学術用語」ではないと思います。wikiの項目に「学術用語」の定義がありますので、一度、ご確認いただけないでしょうか?ちなみにフェミニストの上野氏は「学術用語ではない」という見解です。
その部分は、ディズニースピリットさんの<しかし、説明せよと言われたら、「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません。>に基づいて書いたのです。ご自身が関わった文脈なのに、それをご都合主義的に切り離して反論するのはやめてください。
たとえば、あなたが「どの運動家の定義で説明すればよいのですか?」と書いていれば、私はその指摘をする必要はありませんでした。あなたが今回の文脈の中で「学者」について相当に偏ったありかたを含める可能性を前提していたからといって、私がそれを前提しなければならない理由はありません。「「どの学者の定義で説明すればよいのですか?」と聞かなければなりません」とされた場合に、その学者の意味を常識的に(=学術性を軽視していない人々の集団として)理解した上で応じるのは当然でしょう。
そもそも、私が2で専ら指摘しようとしたことは、あなたが 2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) で展開した「専門家の間ですら議論がある」なら普及していない、学術用語でない/国際的に通用していないなら、学術用語ではありえない」という議論に根拠がないことです。
「しかしながら~」以下については、学術用語の定義に続く「一般の言葉と比較して、定義のはっきりしていることが求められる。議論を進めるにあたって事柄の意味自体にずれがあっては結論が導けないからである。」という観点に立ったとき、上野氏の「学術用語ではない」という見解が強い説得力を持つ可能性は否定しません。しかし、仮に説得力があったとしても、それを本文の執筆方針とする理由はありません。
むしろ、ジェンダーフリーに対して肯定的立場に立つ人々が、積極的にその学術性を否定するかによって判断すべきでしょう。そのように判断しないなら、特定の立場からジェンダーフリーにまつわる全体を説明することになるので、中立的な観点に反します。「学術用語ではない」という見方が説得的ならば、それは本文中に示される根拠によっておのずから示されるのであり、結論から入って根拠づけをすり込むような仕方で執筆するのは、Wikipediaの方針に反します。
>「ジェンダーフリーが学術用語とは言えない」という一例を挙げますが、「バックラッシュ!」という著作の中でフェミニストの上野千鶴子氏は「ジェンダーフリーは和製英語だが、ジェンダーは学術用語である」との主旨の発言をしています(379p)。文章の内容から上野氏が「ジェンダーフリー」を学術用語だと認めていないことは明らかです。私も同意見です。定義が定まっていない用語を、あたかも定まっているかのようにTOPで定義してみせるのは、間違った情報を流布することになると考えます。
和製英語(日本語的発想で組み立てられた英語由来の日本語)であるか否かと、学術用語(学術研究用の専門用語)と言えるかどうかは無関係な論点です。また、学術用語であるか否かと、定義が定まっているか否かも無関係な論点です。例えば、阪神タイガースは学術用語ではありませんが、明確に定義できます(ついでに指摘しますと、引用された範囲で見る上野氏の結論からは、ジェンダーフリーの定義が定まっていないという結論は出ません。和製英語ならば当然定義が定まっていない、とは言えないからです)。
さらに、定義が定まっていない(定義について議論がある)ならば、学術用語でないとは言えません。2006年8月19日 (土) 16:19 (UTC) の2で、民主主義という例を挙げて指摘した通りです。現在のWikipediaの学術用語の説明は、定義と要請(「一般の言葉と比較して、…」)を区切っていないために、要請が定義であるかのように読める形になってしまっているだけだと思います。仮に要請部分を定義に含めるなら、説明は失当です。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 07:23 (UTC)


Loxfongmardさん、「<ジェンダーフリー>が学術用語である」という論拠の出典を明記していただけますでしょうか?私は「ジェンダーフリーは学術用語とは言えない」ということについて、「バックラッシュ!(378p-379p)」における上野千鶴子氏の発言を出典とします。前出が不足であれば、該当全文を引用いたします。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 09:09 (UTC)


私は、通常、ジェンダーフリーを擁護する立場(学者)は、ジェンダーフリーは学術用語でないという主張をあえてしないだろう/ジェンダーフリーを擁護するに当たっては、何らかの定義を下して論ずるだろう/下された定義について一定の範囲で相互了解があるなら(とりたてて強調するつもりはないだろうが)ジェンダーフリーを一応「学術用語」とみなすだろう(自分たちの議論は学術的でないとわざわざ卑下しながら論じるのが普通であるとは思えないので) …そうであれば、ジェンダーフリーという項目の執筆にあたっては、そのような立場を踏まえない説明・項目立てを行うことは、Wikipediaの中立的な観点に反するだろう、としているだけです。上に書いたようなたぐいの定義づけなり、それに基づいた理論なりが、本文中に構成上適切な(中立的な観点に反しない)位置に示された何らかの批判的記述によって説得性を失う結果になりうることを問題視しているわけではありません。
ある概念が「学術用語」か否かをあえて記述する実益があるのは、ある概念が学術用語でないと論ずる立場です。ある概念の学術的意義を否定したいのであれば、本文中に根拠を示しつつ、その旨記述すればよいのです。
私は、構成によって結論を正当化しつつ、根拠付けを加えていくような執筆方針が中立的な観点に反すると述べているに過ぎません。否定側と同等の証明責任を要求すると、奇妙な一般的前提を持ち込むことになります。すなわち、本文中にその概念の学術性を明示的に根拠付ける記述がなければ、学術用語とみなされない推定が働く、という前提です。ですが、そのような理解は一般的ではないでしょう。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 10:33 (UTC)


上野千鶴子氏は、ことあるごとに「ジェンダーフリー」という用語を使わないほうが良い、という発言を繰り返してきていますが、それに対して「学術用語を『使うな』とは何事であるか!」という批判を、私は寡聞にして文献で見たことがありません。これは、フェミニズムの各学者が「ジェンダーフリー」を学術用語として見ていない証左だと考えます。東京都が使わないように、と通達した際も同様です。「学術用語であるのに」という反論は、見たことがありません。本文の定義部分に「学術用語ではない」と明記することを提案します。上野氏は「標語」だと言っております。--ディズニースピリット 2006年8月21日 (月) 12:57 (UTC)
「普及」に関してですが、「バックラッシュ!」の351pにおいて高校教員の長谷川美子氏はこのように表現しております。『なにしろ生徒はもちろん、教員の多くが「ジェンダー」自体、何のことだか理解してはいないのだ。まして、認知度の低い「ジェンダー」に、使われ方しだいでさまざまな意味を持つ「フリー」という英語がくっついた、「ジェンダーフリー」という用語を理解しろというのは無理な注文である。』・・・教員にすら、その多くに普及(広く一般に行きわたること)していないものを、「普及している」、とは言えないと私は判断します。--ディズニースピリット 2006年8月21日 (月) 13:23 (UTC)


まず、念を押しておきますが、私は本文中(当然、定義中にも)に、ジェンダーフリーは学術用語であると明記すべきだ、という主張は一切行っていませんし、そのような主張には 1 意義 2 根拠 がないと考えています。なぜなら、1 学術用語だと考えるなら、そう断る意義がない(説明が何らかの学問分野に関係するものである事実が、当然に学術用語(2006年8月20日 (日) 07:23 (UTC)参照)であると規定するから)し、 2 Wikipediaの説明(中立的であることが求められる説明)においては、学術用語かどうかは、根拠や事実関係の有無によって、誘導的でない形で読者それぞれの判断対象となるようにすべきだからです(例えば、定義部に「用語Xは学術用語である」とわざわざ明記することは、根拠無く用語Xの学術的意義の高さを読者に印象付けようとすることであり、仮にその判断が実質的に正しくても、形式的に不当な記述であると考えます)。
適切な注意を払う読者は、通常、「ある用語の意義(それが複数になることは構いません)が最初に示され、余計な判断が付け加えられない説明」を信頼します。最初から用語の意義以外の特定の解釈・判断・立場に立つような説明からは、偏った印象を受けるため、信頼をおきません。記事を説得的なものとするつもりがあるならば、わざわざ信頼を失う形式の記述をすべきではありません。もっとも、相当数の読者は適切な注意を払わないから、私が主張するような注意を払わなくても、問題は生じない(具体的には、信頼されてしまう)かもしれませんが、そのような記事が中立的な観点に反することに変わりはありませんし、適切な注意を払う読者がたまたまそういう記事を読めば、論争的なWikipediaの記事を信頼しない傾向を(正しく)強めるでしょう。
<私は寡聞にして文献で見たことがありません。これは、フェミニズムの各学者が「ジェンダーフリー」を学術用語として見ていない証左だと考えます。>…これは、あきらかにディズニースピリットさんの主観的判断にすぎません。「寡聞」だからです。まがりなりにも中立的な観点に反しないと主張したいのであれば「主な学者の文献にはない」と根拠付けられなければなりません(ところで、「寡聞にして」は謙遜するときに用いる言葉ですが、「寡聞にして」としながら「各学者…証左だと考え」ると論じてしまっては、「寡聞にして」が謙遜としての意味を全く成さないどころか、むしろ尊大だと思うのですが…)。但し、この点の結論にに関わり無く、定義部に<>内に関わる記述を含めれば、中立的な観点に反することは、すでに論じたとおりです。また、『普及』度を確かめるのに、ある高校教員の発言を引くことに、何か意味があるのでしょうか? また、この点について、すでになさった主張とそれへの反論 (ディズニースピリット 2006年8月19日 (土) 14:40 (UTC) から Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 07:23 (UTC) までの議論)を完全に無視して話を進めるのはおやめください。Loxfongmard 2006年8月21日 (月) 15:38 (UTC)


肯定側の外部リンクについて

☆肯定側の外部リンクなのですが、もう少しビシッとした解説のホームページはないでしょうか。荻上チキ氏の漫談風のQ&A(成城トランスカレッジ)も面白くて良いとは思いますが、これしかない、というのも問題だと思います。☆--59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 03:25 (UTC)


上の 59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 03:25 (UTC) は、項目「関連文献・外部リンクの分類について」の冒頭に挿入されていましたが、明らかに「関連文献・外部リンクの分類」と無関係な揶揄に過ぎないので、新たに項目を立てて移動しました。
肯定的立場の外部リンク先の説明の説得性について、予断を持たせることだけを目的としたようなコメントはおやめください。「漫談風」「面白くて良い」と、内容と無関係なポイントについてよく言ってみせることは、裏から内容についてとるに足らないという印象を与える書き方ですし、肯定的立場の外部リンク先が一つであることを「これしかない」と強調することは、その立場に立つ者が少ない=説得力がなさそう、という印象を与えるような書き方です。
「これしかない」ことを問題にするのであれば、現在の本文の分量が約12000字であるのに対して、ジェンダーフリーとは 荻上チキ 成城トランスカレッジ)は、約30000字だから、現在の本文の分量は少ないから問題だ、などとこじつけることも出来てしまいます。そういう問題ではないでしょう。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 05:59 (UTC)


荻上チキ氏の解説は、信頼には足らないと思います。最初から間違いがあるからです。
(以下、同サイトから引用)『ジェンダーフリーとは、簡単に要約すると「社会的性差(ジェンダー)の押し付けから自由(フリー)になる」というような意味の和製英語です。ジェンダー・バイアス・フリーと呼んだほうが正しいようです。』
ジェンダーは「性差」ではありません。それは間違いです。また「~ようです」という解説は書いている本人にすら確信がなさそうです。誤解しないで下さい。荻上チキ氏を誹謗することが目的ではなく、もっと分かりやすく、きちんとした「ジェンダーフリー公式ホームページ」のようなものはないのでしょうか、という素朴な疑問です。(ただ、正直なところ、ジェンダーフリーに関して真面目なホームページは無いような気がしているのですが・・・)Loxfongmardさんなら、ご存知かと。--59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 08:52 (UTC)(コメント位置補正:Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 09:23 (UTC)


59.171.19.210 さん、自身への批判的コメント(2006年8月20日 (日) 05:59 (UTC))との対応関係をわかりにくくすることで紛らわしたり(版間での差分:[9]、読者の誘導だけを目的とした、文脈的・時系列的に根拠のない挿入をするような([10] 項目「関連文献・外部リンクの分類について」のすぐ下))編集はやめてください。そういう編集をしておきながら、誤解しないようになどと言うのは、おこがましいのではないですか。「もっと分かりやすく、きちんとした」「ジェンダーフリーに関して真面目なホームページは無いような気がしている」などは、私が 2006年8月20日 (日) 05:59 (UTC) で批判したのと同工異曲ではないですか。あなたの発言のどこが「素朴な疑問」なのですか。
「ジェンダーは「性差」ではありません。それは間違いです。」としていますが、理由がありません。「・・・ではありません」で足りるのに、「それは間違いです。」とただ結論を繰り返すだけの文章を書く意味は何でしょうか。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 09:23 (UTC) 
(ログへのリンクと注釈に不備があったので訂正しました。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 11:54 (UTC)
(再度訂正しました。外部リンクの部分が、再編集のときにタグが付加されてしまい表示が乱れるので、それを修正するために正規表現置換をかけていたのですが、その置換式のミスのために必要な記述までカットされていました。申し訳ありません。2006年8月20日 (日) 14:28 (UTC) )


確かに肯定側の外部リンクが不足しています。私も探してみます。また、山口智美氏が「日本でジェンダーを社会的文化的性差と翻訳したのは『誤訳』だ」と言っています。出典を明記いたしますが、『バックラッシュ!』の281ページ下段です。正確に引用したほうがよろしいでしょうか?--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 09:37 (UTC)


ここに引用する必要はないですよ。本文に適切な仕方で記述してよいと思います。ただし、定義部に書くのは不適切であり、「ジェンダーフリー」概念の成立 のような項目を適切な位置に立て、そこに記述すべきだと考えます。理由はすでに論じました(2006年8月19日 (土) 13:56 (UTC)、2006年8月20日 (日) 07:23 (UTC) の冒頭【>山口氏は『誤読』による『誤用』と表現しておりました。】以下、2006年8月20日 (日) 10:33 (UTC) )。
それから、ジェンダーを社会的性差と訳すことが『誤訳』という理由から、ジェンダーフリーとは (荻上チキ 成城トランスカレッジ)の 【社会的性差(ジェンダー)の押し付けから自由(フリー)になる」というような意味の和製英語です。ジェンダー・バイアス・フリーと呼んだほうが正しいようです】 という説明が間違いであると結論づけることはできません。和製英語と書かれてあるからです。むしろ、『誤訳』であるという見方は論理的に上の説明に含意されています。
また、「正しいようです」は、ジェンダーフリーという言葉にからんださまざまな言説の解説に際して、ジェンダーフリーの主張内容に着目し、頭ごなしに・形式的な理由に依拠して その意義を否定する立場に立たない以上、「正しいです」と書くのは変だから、そのように表現されたのでしょう。59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 08:52 (UTC) のように、なぜ定義が間違っているか理由すら書かず、ただ結論を繰り返すような書き方をしながら、こんな箇所にケチをつけることは、単なる言いがかりとしか言えないでしょう。
それから、この項目の冒頭から読めば分かることですが、59.171.19.210 さんは、外部リンクの数が少ないことにかこつけて読者に予断を持たせようとするコメントをしていただけです。そういう文脈を無視して、ディズニースピリットさんは「確かに肯定側の外部リンクが不足しています。私も探してみます。」などと同意を加えていますが、これはおかしな態度です。
文脈に触れずに表面的に「確かに…」と同意することは、59.171.19.210 さんのやり方を、表面的な言い分を捉えて合理化することだからです。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 11:26 (UTC)


肯定側の外部リンクに「東京都に抗議する!」を追加させていただきました。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 11:46 (UTC)


ディズニースピリットさん、コメントの汚さを逐一あぶりだされるような反論をされれば、自業自得とは言え、気分を害するのは仕方ないこととお察ししますが、そういう「一見丁重そうな開き直り」は、無責任な態度だと思います。文脈をきちんと踏まえたコメントをお願いします。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 12:03 (UTC)


気分を害されたのなら謝罪いたします。失礼いたしました。個人的な思いとして「貴方は○○な書き方をした、だからあなたは○○な人だ・○○なやり方だ」ということをノートに書くよりも、「事実を積み重ねたい」、という思いがあるのです。「誰がどんな書き方をしたか」ではなく「何が書かれているか」に集中したいのです。もちろん感情のコントロールに失敗して逸脱することはあるのですが・・・。しかし、ここは掲示板でもなければ、ましてやチャットでもないのです。勝ち負けも無いと思います。今日よりも明日、記載がより正しく有用になれば、それこそが「みんなの勝ち」だと思います。今後、この手の会話はいたしません。未熟者ですがお許しください。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 12:41 (UTC)
「東京都に抗議する!」のリンク名において、前後の整合性のため、上野千鶴子氏の「氏」を削除いたしました。また、上野千鶴子氏の項目へのリンクを張りました。--ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 12:41 (UTC)


私は、これまでのノートの経緯からすれば、ディズニースピリットさんが気分を害しただろうが、それは自業自得であり、そろそろ経緯に見合った責任ある態度をとってはどうか、とコメントしたのです。私が気分を害したので謝罪せよ、と述べたわけではありません。謝罪と称して体よく 2006年8月20日 (日) 11:46 (UTC) に至る経緯とずれた前提を持ち込むのはおやめください。
ディズニースピリットさんは、【貴方は○○な書き方をした、だからあなたは○○な人だ・○○なやり方だ」ということをノートに書くよりも、「事実を積み重ねたい」という思いがある】などと、善良そうな発言をされていますが、実際には、ディズニースピリットさんが現に○○な書き方・やり方という事実を積み重ねられ(例えば、私のコメントを一方的に編集(分断)して、流れをつかめないようにして「反論」したりしました(ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 00:33 (UTC))以下 )、それに伴って、Loxfongmard に批判された事実も積み重ねられ、結局 2006年8月20日 (日) 11:46 (UTC) ~ 2006年8月20日 (日) 12:03 (UTC) で、どうしようもなくなったので、【「事実を積み重ねたい」という思いがある】という、実際には積み重ねられてもいない【事実】によって、事実を無視しようとしただけの話です。事実とは、表面的に示されるあてにもならない思いとは関係なく、このノートに示されるようなもののことを言うのですよ。
勝ち負けは、ディズニースピリットさんが、勝手に抱いたイメージです。無責任だと経緯に基づいて問われたのに、なぜそのような発想になるのですか。なにが、「みんなの勝ち」なのでしょうか。汚い執筆手法によって記事が「より正しく有用」になることですか。Loxfongmard 2006年8月20日 (日) 13:54 (UTC)

方針に従って、本文の内容についての議論を求めます。60.32.71.82 2006年8月21日 (月) 07:59 (署名付加:Loxfongmard 2006年8月21日 (月) 13:47 (UTC))


60.32.71.82 さん、誰かのコメントが、Wikipedia:個人攻撃はしない の個人攻撃にあたると思ったのでしたら、方針だけ示して暗示するようなやり方をせずに、1 誰のコメントがWikipedia:個人攻撃はしないに反するか 2 Wikipedia:個人攻撃はしないに反すると考える理由 を、きちんと書いてください。60.32.71.82 さんが議論をはじめるのですから、60.32.71.82 さんには、それを説明する責任があります。「議論を求めます」とはじめから他人に説明責任を転嫁するようなやり方はおやめください。>
私は、このノート内で上のような批判を繰り返し行いましたが、<>のような批判は、問題のある執筆手法について、経緯・根拠に基づいて個人を特定して行う批判であり、個人攻撃ではありません。一般に、執筆手法そのものに対する正当な批判は、批判された人の人格に問題がある印象を招きますから、批判された人や同様の批判を受けそうな人は「個人攻撃」があったような気分になるのかもしれません。また、執筆手法の汚さを指摘されているのに無視した、という批判まで重ねられれば、さらに人格に問題がある印象を招くでしょう。しかし、それは批判する人のせいではなく、あまりにも簡単に批判されるような、露骨に問題のあるやり方がまずいだけです。揶揄 (59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 03:25 (UTC)) を遠まわしに擁護 (ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 09:37 (UTC) 「確かに肯定側の外部リンクが不足しています。私も探してみます。」) したり、自身に向けられた批判文自体を編集してわかりにくくする(ディズニースピリット 2006年8月20日 (日) 00:33 (UTC))以下)ような人が特定されて批判を受けるのは、ごくあたりまえのことです。Loxfongmard 2006年8月21日 (月) 13:47 (UTC)


Wikipedia:議論が白熱しても冷静にをご高覧下さい。他人を評価するのはやめましょうという言葉をお考え下さいませ。59.171.19.210 2006年8月21日 (月) 14:14 (署名付加:Loxfongmard 2006年8月21日 (月) 15:51 (UTC))


59.171.19.210さんは、揶揄 (59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 03:25 (UTC)) を書いた当人です。Wikipedia:議論が白熱しても冷静にには、「こういった方法がうまくいかないケースがあります。中立的な記事を書きたくもなく、書くこともできない人、適切な記事を削除したくてたまらない人、悪名高い反社会的な人、などがいる場合です。思うに、こういった人々はウィキペディアにいて欲しくありません」ともあります。そういう人は「…滅多にいるものでもありません。」ともありますが、さしあたり、59.171.19.210 さんや、ディズニースピリットさんが、「こういった人々」に属することは、2006年8月21日 (月) 13:47 (UTC) に書いた事情や、注意を促すときに「ご高覧下さい」と書く意味を普通に踏まえられる人たちは、認めるだろうと思います。Loxfongmard 2006年8月21日 (月) 15:51 (UTC)


○貴殿が「揶揄」と評価した私の書き込みはこれですよね。↓
→☆肯定側の外部リンクなのですが、もう少しビシッとした解説のホームページはないでしょうか。荻上チキ氏の漫談風のQ&A(成城トランスカレッジ)も面白くて良いとは思いますが、これしかない、というのも問題だと思います。☆--59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 03:25 (UTC)
この程度の文章のどこが「揶揄」でしょうか?この「成城トランスカレッジ」のHPを「漫談風」と書いた根拠はこれです↓
根拠1.Q.でも、涙が出ちゃう。だって、女の子だもん。A.「僕女」だったのか! 男の子も泣くけど、コートの中では平気なの。
根拠2.Q.やかましい! 女は家にいろ!A.もちつけ。
根拠3.Q.えー。違うのかー。だったらバッシング側にまわるぜ! 同室着替えが羨ましい!A.ちょwwwwwおまwwwww。
私はこれを「面白くて良いとは思いますが、これしかない、というのも問題だと思います」と書いています。今は肯定側リンクが複数に増えていますが、これを書いた当初は、これしかなかったのです。だから他に増やせないかと書いた。それが事実です。「成城トランスカレッジ」の表現をお借りして、「もちつけ。」、「ちょwwwwwおまwwwww。」と貴方に言いたい。落ち着いて下さい。お願いします。○以上の署名の無いコメントは、ディズニースピリット(会話履歴)氏が[2006年8月21日 (月) 16:52]に投稿したものです。
しばらく時間を置いたほうが良いのでは?以上の署名の無いコメントは、IP:220.209.199.78(会話/whois)氏が[2006年8月22日 (火) 02:59 (UTC)]に投稿したものです。
再度、方針に従って、本文の内容についての議論を求めます。以上の署名の無いコメントは、IP:60.32.71.82(会話/whois)氏が[2006年8月22日 (火) 04:26 (UTC)]に投稿したものです。(コメント位置移動:Loxfongmard 2006年8月24日 (木) 16:22 (UTC)
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
以上の経過からわかることを、明示しておきます。
ディズニースピリット(会話履歴)は、IP:59.171.19.210ソックパペット(なりすまし)であることが判明した。
 IP:59.171.19.210は、2006年8月21日 (月) 16:52 のコメント(無署名)において、ディズニースピリットとしてログインした状態で、「貴殿が「揶揄」と評価した【私の】書き込みはこれですよね」(【】は引用者)として、59.171.19.210 2006年8月20日 (日) 03:25 (UTC) の投稿を示した。つまり、59.171.19.210=ディズニースピリット であると、自ら暴露した(版間での差分:[11])。
■2006年8月21日 (月) 16:52 と、その履歴を見て、IP:220.209.199.78は、2006年8月22日 (火) 02:59 (UTC) に、上記ディズニースピリット名義のコメントを削除した上、「しばらく時間を置いたほうが良いのでは?」と無署名で書き込んだ。削除したコメントは、管理者が復帰した。その際、ノートに投稿者・投稿日時が付加された(版間での差分:[12])。
IP:60.32.71.82による 2006年8月22日 (火) 04:26 (UTC) は、以上の経過を完全に無視し、2006年8月21日 (月) 07:59 のコメントを単純に繰り返した(後に管理者により投稿者・投稿日時が付加された)。
IP:59.171.19.210(=ディズニースピリット)は、ジェンダーフリーとは (荻上チキ 成城トランスカレッジ)を「漫談風」とみなしたことが、同サイトに対する読者の予断を誘う目的でなされたことについて、「この「成城トランスカレッジ」のHPを「漫談風」と書いた根拠はこれです↓ 」として、あきらかに断片的な 根拠1.~3.を理由としていたことを述べ、自ら認めた。Loxfongmard 2006年8月24日 (木) 16:22 (UTC)