コンテンツにスキップ

日本行進曲 (ヨーゼフ・シュトラウス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。松茸取りの翁 (会話 | 投稿記録) による 2016年3月19日 (土) 04:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (新しいページ: '{{Portal クラシック音楽}} 『'''日本行進曲'''』(にほんこうしんきょく、{{lang-de-short|''Japanesischer Marsch''}})は、ヨーゼ...')であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

日本行進曲』(にほんこうしんきょく、: Japanesischer Marsch)は、ヨーゼフ・シュトラウスが作曲した行進曲である。作品番号はない(WoO)。

概要

文久遣欧使節のメンバーたち。(1862年撮影)

1862年ヨーゼフ・シュトラウスパヴロフスクに赴き、「体調悪化」した兄のヨハン・シュトラウス2世の代理として、ロシアでの夏の演奏会を指揮することとなった。(詳細は『燃える恋』を参照)

ヨーゼフがパヴロフスクでの仕事をしている時に、江戸幕府によって派遣された文久遣欧使節ロシア帝国を訪問することになった[1]。使節団を歓迎するためにヨーゼフが作曲したのが、この『日本行進曲』である[1]。第2主題に「日本の旋律」として現在の『君が代』の冒頭部が引用されている。現在の君が代のメロディーは1880年に作り直されたものであるため、冒頭部に関しては、1862年以前から元となるメロディーが存在していたことになる。

発見

楽譜はロシア国内でのみ出版され、ウィーンでは出版されなかった[2](出版社はサンクトペテルブルクのBüttner社[1])。このため出回った楽譜がシュトラウス・ファミリーの作品群の中でも非常に少なく、ペーター・ケンプなどが長年にわたって世界中を調査したが、発見されなかった[2]

しかし、2012年にオーストリア国立図書館の「総合カタログ」に忽然と蔵書記録が現れた[2]。新規購入されたわけではなく、ハイドン研究家として著名なアントニー・ヴァン・ホーボーケンの遺品整理が進み、その成果が反映されたものである[2]

脚注

  1. ^ a b c 若宮(2014) p.86
  2. ^ a b c d 若宮(2014) p.84

参考文献

外部リンク

映像外部リンク
『日本行進曲』第2主題と『君が代』 - 小田川隆朗による「シュトラウス・ピアノ・エディション」の演奏サンプル(公式)