燃える恋

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燃える恋』(もえるこい、ドイツ語: Brennende Liebe作品129は、ヨーゼフ・シュトラウスが作曲したポルカ・マズルカ。『灼熱の恋』とも。演奏時間はおよそ5分。

解説[編集]

パヴロフスク駅でのコンサートを題材とした絵画(1862年作)

1856年ヨハン・シュトラウス2世ロシア帝国の鉄道会社と契約を結び、毎年夏になるとパヴロフスクの駅舎で演奏会を催すようになった[1]1862年4月、ヨハン2世は7回目となるパヴロフスク訪問をしたが、8月頃にウィーンのシュトラウス一家のもとに、ヨハン2世が現地で体調を崩したという知らせが届いた[2]。そのため、ヨハン2世の弟ヨーゼフ・シュトラウスが病身となった兄の代理を果たすためにロシアに急行することになった[2]

ロシアでヨーゼフは兄に面会したが、ヨハン2世に病気らしい様子はみられず、兄はその4日後に突然ウィーンへの帰路についた。そしてヨハン2世はウィーンに戻るとただちに、恋人ヘンリエッテ・チャルベツキードイツ語版との結婚の準備に取りかかった[2]。8月6日、ヨーゼフは妻カロリーネに「兄は医師や教授らすべての人をかついだのです」と手紙をしたためている[3][2]

ハスリンガーさん、まんまとかつがれましたね。明朝7時、わが家までご足労あれ。1時間後にやる私の結婚式への介添え人になるためにね[3]。(ウィーンに戻ったヨハン2世が出版業者カール・ハスリンガードイツ語版に出した手紙、8月26日付)

兄がウィーンに帰ったとなると、ヨーゼフは否応なしにそのまま代理としてロシアに留まらざるを得ない。こうして1862年のシーズンの残りは、ヨーゼフが兄の代理としてパヴロフスク駅舎での仕事を引き継ぐことになった[1][4]。最愛の妻カロリーネをウィーンに残して、ヨーゼフは夏のシーズンを一人きりで過ごさなければならなくなった。この『燃える恋』は、まさにその1862年にロシアの地で作曲されたものである。

『燃える恋』という題名について一般的に言われるのは、ウィーンに残してきた愛する妻カロリーネのことを想い、離ればなれになってしまった切なさや深い愛情を表現した[4]、という説である。しかし、他にもヨハン2世が突然結婚に踏み切ったことを指しているという説もある。また、弟のエドゥアルト・シュトラウス1世も当時マリア・クレンカールトとの恋に夢中であり、翌1863年1月8日に結婚している[5]。原題の「Brennende Liebe」とは、真紅の花を咲かせる仙翁のことでもあるが、当時のヨーゼフの周囲はまさに燃えるような恋の花盛りであった[5]

この曲についての確かな情報は、1862年11月9日にウィーンの「シュペールドイツ語版」で初演されたということのみである[5]。楽譜に「schmerzvoll(痛みを伴う)」と書かれていることから、おそらく妻との別離の苦しみを表したとする説が正しいと考えられている。

ニューイヤーコンサート[編集]

ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は以下の通りである。

出典[編集]

  1. ^ a b 若宮(2012) p.66
  2. ^ a b c d 加藤(2003) p.138
  3. ^ a b ケンプ(1987) p.92
  4. ^ a b ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2012曲目解説より〈燃える恋〉
  5. ^ a b c CD『ヨーゼフ・シュトラウス ポルカ集 / ヴィリー・ボスコフスキー&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団』解説書より「燃える恋」

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

音楽・音声外部リンク
全曲を試聴する
Brennende Liebe - ウィーン・シェーンブルン宮殿管弦楽団ドイツ語版による演奏。ウィーン・シェーンブルン宮殿管弦楽団公式YouTube。