浄賢寺
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浄賢寺 | |
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所在地 | 愛知県西尾市須田町45 |
位置 | 北緯34度51分52.1秒 東経137度03分6.0秒 / 北緯34.864472度 東経137.051667度座標: 北緯34度51分52.1秒 東経137度03分6.0秒 / 北緯34.864472度 東経137.051667度 |
山号 | 洞松山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
法人番号 | 3180305006861 |
浄賢寺(じょうげんじ/じょうけんじ、淨賢寺)は、愛知県西尾市須田町45にある真宗大谷派の寺院。山号は洞松山。本尊は阿弥陀如来立像。
歴史
[編集]かつては松山八幡宮における六坊のひとつの西光坊だった[1]。天福元年(1233年)、尊願が矢作村の柳堂で親鸞の教化を受け、天台宗から浄土宗に改宗したと伝わる[2]。
天正18年(1590年)、田中吉政が西尾城の城郭を拡張した際に、城下須田町の現在地に移った[2]。慶長7年(1602年)に本願寺が東西に分立すると浄土真宗に改宗し[2]、寛永3年(1626年)に西光坊から浄賢寺に改めた[1]。
元禄4年(1701年)には本堂が改築され、享保2年(1717年)秋に再建された[2]。また、弘化2年(1845年)2月にも本堂が再建された[2][1]。鬼瓦の製作者は平坂の清助である[3]。格天井には寄進者である深谷・辻・外山・岩瀬らの名前が書かれている[1]。
境内
[編集]- 本堂 - 弘化2年(1845年)竣工。浄賢寺の西側には西尾城があり、本堂・山門ともに珍しい西向きである。
- 山門 - 文化3年(1806年)竣工。
- 鐘楼 - 享保2年(1717年)竣工。梵鐘は1954年(昭和29年)8月に滋賀県愛知郡の長村鋳物師である黄地佐平が鋳造。
- 庫裏 - 通常とは異なり、本堂に向かって左手にある。
- 墓地 - 金物商の辻利八など辻家の墓、西尾藩御用達筆頭だった深谷家の墓、岩瀬弥助など岩瀬家の墓などがある。
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山門
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本尊
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鐘楼
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梵鐘
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庫裏
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墓地
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辻利八の墓
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岩瀬家の墓
現地情報
[編集]- 所在地
- アクセス
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『社寺文化財報告書 建造物5 浄土真宗寺院』西尾市教育委員会、2003年
- 『西尾城下町ガイドブック』西尾市資料館、2002年
- 礒貝逸夫『地域からの目 城下町西尾』三河新報社、1984年
外部リンク
[編集]- 浄賢寺 真宗大谷派岡崎教区