汪寿華

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

汪寿華(おう じゅか、1901年 - 1927年4月11日)は、中国共産党の初期における労働運動指導者の一人である。元の名は何纪元、何今亮と名乗ったときもある、字は介塵、中国浙江省諸曁出身。

1917年秋、汪は浙江省立第一師範学校を受験し入学、五四運動の影響を受け、マルクス主義を学び始める。1920年、汪は中国共産主義青年団に加入し、次の年にはソビエト連邦における教育のため派遣された。1923年、汪は中国共産党に入党し、1925年には帰国して中国共産党第四次全国代表大会に参加している。その後、汪は上海において労働運動の組織および指導を行い、五・三〇事件の主要な指導者の一人となった。

1927年、汪と周恩来たちは上海労働者の第3回武装蜂起を組織、3月22日、汪は上海の臨時の市政府委員及び上海総工会会長に選出される。

汪は同時に青幇の構成員であり、通字は辈、師の甥である杜月笙とは個人的な関係が非常に良かった。上海クーデターの前夜、杜月笙は汪を宴会に招待し、汪が杜宅に入ると直ちに殴打し、その意識がはっきりしないまま郊外の楓林橋で生き埋めにした。

参考資料[編集]