正義霊社

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明治期の正義霊社

正義霊社(せいぎれいしゃ)は、山口県光市にある神社。立野村の給主・清水氏の氏神と清水宗治の神霊[1]清水親知の神霊を合祀している[2][3][4]

大正元年(1912年)10月2日、山口県知事馬淵鋭太郎の承認のもとで神社としての社号が外された。このため宗教法人になっておらず、正式な神社ではない[5]

光市の景観計画として、正義霊社の景観の見直しが盛り込まれている[6][7]

解説[編集]

清水宗治の子・清水景治が現在の光市を給領地として得たときに、備中高松城から立野へと観請したことに始まる[8][9][10][11]

天和元年(1681年)、清水就治が宗治百回忌の際に、宗治の行動から正義霊社と称したことが亀趺塔に書かれている[12][13]

幕末までに一度焼失したが、文化13年(1816年)に清水就周が再建する[14]

最初は石造りの小さな祠が正義霊社であったが(防長風土注進案より)、元治元年(1864年)に清水親知の神霊を祀るにあたって、難波覃庵が隣の木造の神社と入れ替えた。

長州藩正義派と俗論派に分かれており、親知は正義派に属したが、社号の由来との関連はない。

神社庁の宗教法人としての地位は外れており、神主は常駐していない。子孫により毎年鎮魂祭が執り行われている[15]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 光市史
  • 清水家資料
  • 山口県光市教育委員会資料