橋本作市
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橋本 作市(はしもと さくいち、1905年〈明治38年〉10月7日[1] - 1973年〈昭和48年〉5月27日[2])は、昭和時代の政治家。北海道留萌市長(2期)。
来歴
[編集]北海道出身[1]。1929年(昭和4年)北海道帝国大学水産専門部卒業[1]。留萌町に奉職し、資源課長などを歴任した[1]。
その後、留萌町助役を経て[3]、1947年4月、留萌町議会議員となり、翌月には副議長となる[3]。同年10月留萌市発足により、留萌市議会議員、同副議長に就任した[3]。1951年の留萌市長選挙に立候補したが、現職の原田太八に敗れ落選した[4]。
1954年2月に前市長の原田太八が任期途中で辞職したことに伴う翌3月の市長選挙には橋本作市、小澤久吉、城川徹郎の3人が立候補し、橋本は初当選を果たす[5]。次点の小澤と100票弱差の僅差での当選であった[6]。1958年の選挙で再選[4]。1962年の市長選挙で原田栄一(原田太八の息子)に敗れた[4]。1966年の選挙でも落選した[4]。後に従五位勲五等双光旭日章を贈られた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第21版 下』人事興信所、1961年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 留萌市 編纂『新留萌市史 本編』留萌市、2003年。
- 留萌市 編纂『新留萌市史 資料編』留萌市、2003年。