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梅津喜一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梅津 喜一
生誕 1871年7月24日
日本の旗 日本 福島県
死没 (1959-01-02) 1959年1月2日(87歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1894年 - 1919年
最終階級 陸軍少将
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梅津 喜一(うめづ きいち、1871年7月24日明治4年6月7日) - 1959年昭和34年)1月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴・人物

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福島県出身[1][2][注釈 1]1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業[1][2]

1915年大正4年)8月に堺連隊区司令官、1916年(大正5年)1月に陸軍歩兵大佐、同年8月に歩兵第22連隊長を経て、1919年(大正8年)7月に陸軍少将に昇進と同時に待命、同年11月に予備役に編入した[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 廃藩置県直前の生まれのため磐城国あるいは岩代国の生まれであるが、正確な出身地が不明のため参考文献に従い福島県とした。

出典

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  1. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』130頁。
  2. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』118頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」185頁。
  4. ^ 『官報』第3401号「叙任及辞令」1894年10月27日。
  5. ^ 『官報』第2093号「叙任及辞令」1919年7月26日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。