梁銘

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梁 銘(りょう めい、生年不詳 - 1427年)は、明代軍人は自新[1]本貫汝寧府汝陽県

生涯[編集]

1399年建文元年)、靖難の変が起こると、燕山前衛百戸として燕王世子朱高熾に従い北平を守った。李景隆が北平城を包囲すると、梁銘は奮戦して守り抜いた。1402年(建文4年)11月、後軍都督僉事に進んだ[2]1410年永楽8年)、皇太子朱高熾の監国に近侍した。罪に問われて獄に下された。1421年(永楽19年)、赦されて復職し、都督の胡原を補佐して広東倭寇の討捕にあたった。1424年(永楽22年)8月、洪熙帝が即位すると、都督同知に進んだ。9月、参将として都督同知の陳懐とともに寧夏に駐屯した。12月、追って北平守城の功を論じられ、保定伯に封じられ、世券を与えられた。1425年洪熙元年)2月、征西将軍の印を受けた[3]1426年宣徳元年)、その汚職腐敗ぶりを御史石璞に弾劾され、獄に下され、爵位剥奪相当とされたが、猶予された。左副総兵となり、柳升の副将としてベトナムに遠征した。1427年(宣徳2年)9月、陣中で病床に臥せった。柳升が倒馬坡で敗死すると、梁銘はその日のうちに病没した。

子の梁珤が保定伯の爵位を嗣いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 孫奇逢『中州人物考』巻6
  2. ^ 談遷国榷』巻12
  3. ^ 『国榷』巻18

参考文献[編集]

  • 明史』巻154 列伝第42