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柳家禽語楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳家やなぎや 禽語楼きんごろう
柳家(やなぎや) 禽語楼(きんごろう)
柳派定紋「花菱」
本名 大藤 楽三郎
別名 柳家小さん
柳家禽語楼
生年月日 1849年
没年月日 1898年7月3日
出身地 日本の旗 日本日向国[1]
師匠 初代柳亭燕枝
名跡 1. 柳亭燕花
(? - 1876年)
2. 柳亭燕静
(1876年 - 1878年)
3. 柳亭燕壽
(1878年 - 1883年)
4. 2代目柳家小さん
(1883年 - 1888年)
5. 禽語楼小さん
(1888年 - 1895年)
6. 柳家禽語楼
(1895年 - 1898年)
活動期間 ? - 1898年
活動内容 江戸落語
所属 柳派

柳家 禽語楼(やなぎや きんごろう、嘉永2年8月(1849年9月または10月) - 明治31年(1898年7月3日)は、幕末から明治にかけての江戸落語落語家[2][注釈 1]。本名:大藤 楽三郎[2]

経歴

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日向国の出身[1]。元は延岡藩士で、高島秋帆から砲術を学んだという[2]

幕末に初代柳亭燕枝に入門し、柳亭燕花を名乗った[2]。しかし一時芸界を抜ける[2]

1876年に、当時居住していた静岡から東京の師匠のもとに出向いて詫びを入れ、「静岡」にちなんだ「燕静」の名で再び落語家に戻る[2]1878年に燕枝が興行で来静した際に東京の寄席に戻る話を聞かされて同年末に上京し、翌1879年正月より「燕寿」と改名して東京の高座に上がった[2]

1883年に2代目柳家小さんを襲名した[2]

1888年3月に松本順から「禽語楼」の号を贈られ、禽語楼小さんと改名し両国中村楼で改名披露を行う[2]。この名前は小さんの声調が高く、また弁が立ったことからつけられた[2][注釈 2]

1895年3月に弟子の初代柳家小三治に「小さん」の名を譲り、自らは柳家禽語楼と改名した[2]。しかしこの改名以降、体調がすぐれないことが多く、人気も下落したという[2]。改名から3年あまり後の1898年7月3日に死去[2]享年50(満48歳没)。

芸風・人物

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主な演目として、『五人廻し』『廓大学』『猫久』などがある[2]

初代三遊亭圓遊とは親しく、圓遊が高座でステテコ踊りを披露する前(禽語楼の燕寿時代)、二人で座敷芸として踊ったことがあった(ただし踊り自体の始まりについては諸説ある)[2]。その初代圓遊とは、人情噺に対して軽視されていた落とし噺の改作や新作をともに手がけ、「滑稽落語」に確固たる地位を与えている[3]

「猫」とあだ名されたり、新聞には「ちんくしゃ」な顔立ちを「珍面美人愛嬌の徳」と書かれたりした[2]。それでも女性からは人気が高く、「女」の字に鍵をつけた絵を描いた絵馬を神社に奉納したという[2]

弟子

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移籍

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脚注

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注釈

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  1. 生誕の日付について『古今東西落語家事典』は「嘉永2年8月(日未詳)」とする[2]
  2. 「禽語」は鳥の鳴き声のこと。

出典

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  1. 1 2 禽語楼小さん」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社コトバンクより2026年2月2日閲覧
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 古今東西落語家事典 1989, p. 100, 江戸・東京篇 六、柳・三遊両派の競演(二代目禽語楼小さんの項).
  3. 古今東西落語家事典 1989, pp. 93–95, 江戸・東京篇 六、柳・三友両派の競演(俗に初代三遊亭圓遊の項).

参考文献

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  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会 編『古今東西落語家事典平凡社、1989年4月7日。ISBN 4-582-12612-X