談洲楼燕枝 (2代目)
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| 2代目 談洲楼 燕枝 | |
| 本名 | 町田 銀次郎 |
|---|---|
| 生年月日 | 1869年3月18日 |
| 没年月日 | 1935年7月6日(66歳没) |
| 出身地 | |
| 師匠 | 初代快楽亭ブラック 2代目禽語楼小さん |
| 名跡 | 1. 快楽亭快楽(時期不明) 2. 柳家小山三(時期不明) 3. 2代目柳家小三治(? - 1897年) 4. 柳亭小燕枝(1897年 - 1901年) 5. 柳亭燕枝(1901年 - 1904年) 6. 2代目談洲楼燕枝(1904年 - 1934年) |
| 活動期間 | ? - 1934年 |
| 家族 | 2代目中村歌門(長男) |
2代目談洲楼 燕枝(だんしゅうろう えんし、明治2年2月25日(1869年3月18日) - 昭和10年(1935年)7月6日)は江戸の落語家。本名は町田 銀次郎。
芝仲門前の法衣屋嶋屋久兵衛の子で生家が没落し上州前橋の親戚の家に預けられる。その前橋へ、前から知っていた噺家、遊雀と左遊の二人が興行にやって来た。仕事もなく遊んでいた銀治郎、根が好きな道だけに、誘われたことを良い口実に燕雀などと勝手に名乗っていた、のちに初代快楽亭ブラックの一座で快楽(またはシュラク)を名乗り地方廻りをする、東京に戻ったのちに2代目禽語楼小さんの門で柳家小山三、さらに師匠小さんが柳家禽語楼を名乗り、弟子の初代柳家小三治が3代目柳家小さん襲名して小三治が空いたため、2代目小三治を名乗った。その後1897年に小燕枝、1901年2月に初代燕枝の一周忌に柳亭燕枝を襲名し、1904年12月に亭号を談洲楼と改め、2代目談洲楼燕枝となった。
人情噺を得意とした。落語は面白くなかったが聞く人が聞けばまことに結構な芸だったという。
1934年3月11日に「雪の杖 道問う人に 譲りけり」と引退の句を残し日本橋俱楽部で引退興行を行なった。その後は下谷同朋町に芸者屋のご隠居の身になり隠居した。丹毒症で亡くなった。
実の長男が歌舞伎役者の2代目中村歌門といい、その妹が前進座創立者3代目中村翫右衛門の妻。
弟子には5代目(3代目とも)春風亭柳好、6代目林家正蔵、4代目三升家勝次郎、3代目瀧川鯉かん、入船米蔵(板橋啓次郎)、3代目柳亭燕枝、漫才に転向したリーガル千太らがいる。
参考文献[編集]
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 古今東西噺家紳士録