村瀬新一郎
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村瀬 新一郎(むらせ しんいちろう、1892年(明治25年)9月10日 - 1978年(昭和53年)12月31日)は、日本の実業家である[1][2]。三井物産の社長を務めた[1][2]。
経歴・人物
[編集]愛知県に生まれ[1][2]、東京高等商業学校(後の東京商科大学、現在の一橋大学)に入学する[1][2]。1917年(大正6年)に卒業後は三井物産に入社し[1][2]、シドニー支店の会計課長や神戸支店営業部の会計課長[2]、福岡支店長[2]、本店整理部長等を歴任した[2]。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に取締役経理部長となり[2]、後に常務を務める[1][2]。
同年には同社が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から解散命令を受け[1][2]、清算人にあたった[2]。その後は日東倉庫の社長に就任し[2]、1953年(昭和28年)には大合同直前の三井物産の社長を務める[1][2]。1955年(昭和30年)には会長を経て[2]、1959年(昭和54年)に大合同成立により相談役となった[1][2]。1963年(昭和38年)に同社を退社し[2]、大東化学会長を務めた[2]。