本坊豊吉

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本坊 豊吉(ほんぼう とよきち、1905年8月1日 - 1992年1月6日)は、日本の経営者鹿児島県加世田市出身[1]

経歴[編集]

1932年慶應義塾大学法学部を卒業[1]長崎自動車、上海食品工業各社長を経て、1961年薩摩酒造本坊酒造各社長に就任し、鹿児島放送の設立にも携わり、社長と会長を務め、九州コカ・コーラボトリング社長も務めた[1]1974年5月に会長を経て、1978年6月から相談役を務めた[1]。「さつま白波」ブランドを育て、焼酎ブームの立役者となった[2]

1970年10月に藍綬褒章を受章し、1976年4月に勲四等瑞宝章を受章した[1]

1992年1月6日心不全のために死去[2]。86歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1991, ほ76頁.
  2. ^ a b 1992年 1月6日 日本経済新聞 夕刊 p17

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 下』人事興信所、1991年。