木村敷秀

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木村 敷秀(きむら のぶひで、1855年安政2年)1月15日 - 1924年大正13年)8月12日)は、直心影流剣術家、大日本武徳会剣道範士幼名は鐵太郎。

経歴[編集]

加賀国金沢生まれ。幼時より加賀藩の藤岡勇之助に水野心法一傳流を学び、明治元年(1868年)に免許皆伝を授かる。翌明治2年(1869年)、藩の雄飛館剣道教師となり、明治8年(1875年)まで務める。

明治10年(1877年)7月、上京し警視庁警部補に任官。同年、西南戦争新撰旅団小隊長に任命される。同年10月、榊原鍵吉に入門し直心影流剣術を修める。その後、学習院教授、警視庁、東京高等師範学校東京大学等の嘱託を務める。

大正元年(1912年)、大日本帝国剣道形制定の委員を務める。

称号[編集]

参考文献[編集]

  • 村上晋編『大正武道家名鑑』7頁、平安考古会