日本考古学会

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概要[編集]

1896年に帝室博物館(現・東京国立博物館)を母体に、当時東京師範教授であった三宅米吉を中心に「考古学会」として設立された。三宅起草の設立趣意書には「本会は同志相集まり本邦考古学の研究に従事するものにして、其の目的は本邦歴世の風俗・利度・文物・技能を明らかにするにあり」とある。当時、人類学会東京帝国大学人類学教室が母体)が石器時代の考古学分野まで担っていた状況から、考古学の独立宣言とも言われるが、考古学会は弥生古墳時代を中心とした。同会は皇紀2600年=1941年1月に日本考古学会と改名された。

機関誌『考古学会雑誌』は1896年に発刊され、28冊を刊行して1900年の3篇4号で終刊した。機関誌は1900年から『考古』と改題されて1-7号を刊行した。1901年には『考古界』と改題され、96冊を出して8篇12号で1910年に一旦終刊した。同年9月25日に『考古学雑誌』が創刊され、現在に至っている。1944年8月の34巻8号で一旦中断、45年2月に34巻9号を出し、1947年10月の34巻10号以降は復活した。日本考古学会は、現在も東京国立博物館に事務所を置き、雑誌発行を続けている。ただ、最近は雑誌発行が遅れがちであり、年四回の発行が確保できず、発行を空白扱いとした年度もあった。入会審査はない。

ちなみに1947年から日本民族学協会の呼びかけにより結成された六学会連合(後の九学会連合)への参加学会は、日本考古学協会ではなく日本考古学会だった(1970年に脱退した)。当時、他の学会との関係では日本考古学会が考古学界を代表していたわけである。