拓跋渾

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拓跋 渾(たくばつ こん、生年不詳 - 487年)は、北魏皇族。南平王。

経歴[編集]

陽平王拓跋煕の次男。広平王拓跋連の後を嗣ぎ、南平王に改封され、平西将軍の位を加えられた。運動を趣味とし、特に弓や馬を好み、空飛ぶ鳥を射落としてみせた。太武帝の前で弓矢を競って、3発みな射当てて、太武帝を喜ばせた。437年太延3年)、仮節・都督平州諸軍事・領護東夷校尉・鎮東大将軍・儀同三司・平州刺史に任じられ、和龍に駐屯した。後に涼州鎮将・都督西戎諸軍事・領護西域校尉に転じた。任期を終えて平城に帰るときには、涼州の父老たちがみな泣いて見送った。487年太和11年)5月、孝文帝の巡行に従って、道中で死去した。

子の拓跋飛龍(拓跋霄)が後を嗣いだ。

伝記資料[編集]