房三益

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房三益(ぼう さんえき、生没年不詳)は、中国南北朝時代官僚軍人は敬安[1]本貫清河郡繹幕県[2]房崇吉の従弟にあたる[1]

経歴[編集]

南陽で北魏に帰順した。孝文帝は三益と語りあって、好人物と認め、「三益は内心明白で、ことさらに憎まない」と評した。員外散騎侍郎の位を受けた。ほどなく太山郡太守として出向した。兗州左軍府司馬に転じ、在所では清廉静穏な性格で知られた。召還されると、左将軍に任じられた。正光年間、死去した。享年は63[1]

子女[編集]

9人の男子があった。[1]

  • 房士隆(長子、興和年間に東清河郡太守となり、盤陽鎮将を兼ねた)[1]
  • 房士達[3]
  • 房士素(武定末年、太尉諮議参軍)[4]
  • 房士章(尚書郎)[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 魏書 1974, p. 975.
  2. ^ 魏書 1974, p. 969.
  3. ^ 魏書 1974, pp. 975–976.
  4. ^ a b 魏書 1974, p. 976.

伝記資料[編集]

参考文献[編集]

  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3