広渡一湖

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広渡 一湖(ひろわたり いっこ、正保元年(1644年) – 元禄15年(1702年))は、江戸時代前期の長崎派画家。

本姓末次氏。通称小左衛門。肥後国の人。

略伝[編集]

熊本藩御用絵師の末次弥次兵衛を兄にもつ。寛文年間に長崎に出て佐賀藩武雄の御用絵師広渡心海(法橋心海)に師事。狩野派系の画を修め、画才が認められ広渡姓を譲り受け改名[1]。後には人の画家陳清斎に画の教えを請うている。

元禄12年(1699年)に長崎奉行所より唐絵目利に任ぜられる[2]。一湖没後は実子湖春が家督と役職を継いだ[3]

以降、渡辺家石崎家荒木家などとともに唐絵目利の職を世襲し、長崎派の中心的な存在となる。広渡家はほかの三家に比べて狩野派的な画風が色濃い。

脚注[編集]

  1. ^ 広渡湖秀の墓碑銘に先祖は人浪仙一湖という人物で慶州広渡の出身とあるが、この人物と広渡一湖との関係は不明。
  2. ^ 原田博二は「長崎諸役人附」(元禄14年・1701年)の中で唐絵目利に渡辺秀石のみ掲載され一湖の名がないことから、元禄12年の就任は疑わしいとしている。
  3. ^ 「寛延三年十月六日諸役人増減書付」

文献資料[編集]

  • 『崎陽画家略伝』
  • 『慶応元年調査明細分限帳』

出典[編集]