平澤繁太郎
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平澤 繁太郎(ひらさわ しげたろう、慶応4年3月7日(1868年3月30日)[1] - 大正15年(1926年)11月15日[2])[3]は、日本の薬学者、発明家。イヒチオールを発明した。
経歴
[編集]信濃国伊那郡(長野県上伊那郡)出身[3]。名古屋や豊橋などの商店に奉公した後上京し、同郷出身の橋爪医師の書生となり、勉学に励み薬剤師の試験に合格した[3]。その後、東京薬学校、大学専科などに学び、岡山衛生試験場技師となり、岡山医学校教師を兼ねた[3]。その後、東京高等工業学校の助教授となり、明治39年(1906年)に辞職した[3]。
東京高等工業学校在職中に廃棄硫酸の利用研究中にイヒチオールを発見した[3]。
大正15年(1926年)11月に根津にあった自邸にて病死した[3]。