平井滋二

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平井 滋二(ひらい しげじ、1916年5月26日 - 2006年4月8日)は、日本の経営者工学博士四国電力社長、会長を務めた[1]

経歴[編集]

愛媛県西条市出身[1]1941年京都帝国大学工学部を卒業し、技術士官として、海軍技術研究所での勤務を経て、1947年5月に四国配電(のちの四国電力)に入社[1]

1968年5月に取締役に就任し、1969年6月に常務、1974年11月に副社長を経て、1981年6月には社長に就任[1]1985年6月に相談役に就任[1]

1978年5月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲二等旭日重光章を受章[1]

2006年4月8日老衰のために死去[2]。89歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 2003, ひ35頁.
  2. ^ 2006年 4月10日 日本経済新聞 夕刊 p19

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第42版 下』人事興信所、2003年。 
先代
山口恒則
四国電力社長
1981年 - 1985年
次代
佐藤忠義