岩本能史

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岩本 能史(いわもと のぶみ、1966年 - )は、日本のウルトラマラソンランナー、指導者である。

日本におけるウルトラランナーの草分けでもある。

株式会社 オフィス・マイスター代表。club MY☆STAR ランニングチーム主宰[1]

プロフィール[編集]

神奈川県横浜市で生まれ、小学校入学前に父親の仕事の関係で横須賀市へ。(現在は沖縄県那覇市在住)仕事から帰宅するとすぐにランニングに出かける運動好きな父親に育てられる。

小学校に入るとランナーの気質が表れ始める。2年生時からは、自宅から小学校までの片道4kmの道のりを寄り道しながら倍以上の距離を往復徒歩登校し始める。中学校はさらに遠く片道7kmの往復を徒歩登校する。

中学校ではバスケットボール部に所属。陸上部が強い中学校ではなく、1年生時に行われた「中学校総合体育大会」では様々な部活から選手が招集された。先生から「お前も出ろ」と声をかけられ、「100mなら出ます」と出場を承諾したが、エントリー時に先生が「100m」を「1000m」と書き間違えてしまう。(1000mは陸上競技の正式種目ではないが、当時中学1年生に限って設定されていた。)自身が1000mに出場するということを知ったのは、大会当時会場に到着してからだったという。

陸上競技とは無縁の状態(トラック1周の距離も知らなかった)で、出場した結果は3分17秒1で2位。(1位は3分16秒9)全校生徒の前で表彰される気持ちよさを知る。

2年に上がるときに学区再編があり転校するも、そこには陸上部顧問が待ち構えており、バスケットボールに夢中だった岩本は、連日職員室に呼び出され「お前は陸上だ」と説得される。

中学2年で陸上部に所属。当時100mを11秒8で走る実力であったので短距離を希望したが、「全国では平凡な記録だから800mまで距離を伸ばせば、いいとことろまでいく」と先生に諭され、800mを選考。中学3年最後の駅伝ではエースとして5区(950m)を2分41秒の区間新で走り区間賞をとる。

高校進学を悩んでいたときに夏のインターハイが神奈川県で開催され、母親の母校である神奈川県立山北高校の活躍に衝撃を受け、入学を決意する。

中学ではエースだったが、高校ではビリであった。2年生時になっても後輩たちに抜かれ、高校3年生時には高校中退を考えるほどに落ち込んでいった。抜かれていくことを苦と感じなくなるほどだった。

大学に進学すると、あらゆるスポーツに自身の可能性を模索し、右往左往する。バブルの時代、悶々とする中で競技者として身体能力の限界を感じ始め、そのエネルギーはアルバイトへと向かう。過去と決別するため、手元にあった写真やアルバム、賞状などを捨てる。

その後、ガードマンや英会話の教材販売員などを経験。教材販売では営業所を任されるまでになり、営業所を販売成績全国一位にする。この頃仕事のストレスが溜まり55kgだった体重は70kgになっていた。

1992年10月、26歳の時にホノルルマラソンが20回目を迎えるという新聞記事を読み、開催まで2か月しかないが「健康になるチャンスかもしれない」「何かの転機になるかもしれない」という思いが湧き、後輩の西村周之を誘いホノルルマラソンに出場し完走する。(西村周之は大きめのシューズで走るといいというアドバイスを勘違いし29センチのブカブカシューズで走り7時間46分で完走。のちにチャレンジ富士五湖100kmの部優勝している。)

完走後、職場に戻り「どうでした?」と完走を聞いてきた女性が妻の里奈であると自身の著書で語っている。(岩本里奈は、のちにホノルルマラソン、チャレンジ富士五湖優勝を経てスパルタスロン6位入賞している。)

ホノルルマラソンに出場したことで、競技時代とは違う自分のためのランニングに楽しさを覚える。それから毎年12月はホノルルマラソンに出場した。

2000年1月5日の仕事始めで、今年もホノルルマラソン出場をする話を社内でしたところ、部下の一人から「今年あたりスパルタスロンを完走してくださいよ」と言われ、スパルタスロンの存在を知りウルトラマラソンに興味を持つ。

スパルタスロンはギリシャのアテネからスパルタまでの246kmを36時間の制限時間の中で走る、世界で最も過酷なレースの一つである。スパルタスロンの参加資格(100kmを11時間以内。現在は10時間30分以内で完走した記録)を得るため、4月のチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100kmの部出場を決める。

仕事の合間を縫いトレーニングを重ね2か月後にチャレンジ富士五湖100kmの部に出場し、初出場にして8時間59分5秒で完走する。(4位)

スパルタスロン出場資格を得て、7月からスパルタスロン(9月下旬)を完走するのためのトレーニングに入る。(詳細は著書「違う自分になれ」にある)

2000年9月、初のスパルタスロンは172km地点まで辿り着くが、足が一歩も進まなくなり、残り74km、14時間を残しリタイアする。もう2度とチャレンジしたいとは思わなかったが、タイムオーバーまで道を這いつくばり進む選手や表彰式を目の当たりにし、密かに次回以降の飛躍を決意する。事実、帰国した翌日からトレーニングを開始している。

スパルタスロン2度目の挑戦は翌々年の2002年。117km地点で膝を痛めて座り込む岡部真由美(当時100km世界選手権日本代表で、2000年に出場し、岩本と同じ170km付近でリタイヤ。2002年に再挑戦していた。)に会い夜間並走をし、124km地点では取材に来ていたウルトラマラソンのパイオニアである夜久弘に出会う。「この脚ならいける」と勇気づけられ、148kmサンガス山の手前ではスパルタスロン協会日本事務局の坂本雄次から「岡部さん女子4位だから」と耳打ちされる。自分の完走以外に、岡部の3位入賞という目標ができたことが力となり、見事31時間33分で初完走を果たす。(総合22位)

この2002年スパルタスロン完走のとき、岩本自身は岡部を先に走らせフィニッシュしていく姿を、後方から見届けている。これが、後に選手育成をする指導者、黒子としての喜びを感じた瞬間でもある。

2003年にはスパルタスロン30時間切りを目指し3度目の挑戦をする。結果は27時間23分で6位。

翌2004年は優勝狙いで走り、180km付近まで4位につけていたが足のトラブルでリタイアしている。

2003年のスパルタスロン27時間23分での完走をきっかけに、2002年の31時間33分から、1年間で4時間も記録を更新したことに対しネットで不正を疑う記事を発見した岩本は、その走力を証明するために24時間走に挑戦し、24時間で238.5kmを走破する。この結果で24時間走アジア選手権日本代表となる。

24時間走ではアジア選手権に出場し、247kmで準優勝を果たす。スパルタスロンは2023年現在で合計7回完走している。

2005年に、スパルタスロンを通じて知り合ったランナーでランニングチーム「club MY☆STAR」を結成。チームのポリシーは「速いことはすごいけど、偉くはない」

3年後の2008年からメンバーを一般からも募集開始する。2013年には、大阪国際女子マラソン(参加資格フルマラソン3時間15分以内)にチームから8人の参加選手を輩出する。

2010年7月には、恥ずかしくない指導者でありたいという思いから、カリフォルニアデスバレーで開催されるバッド・ウォーターウルトラマラソン(気温50度以上になる炎天下の中、砂漠地帯のマイナス86m付近から4418mあるホイットニー山の中腹までの217kmを60時間で走るレース)に出場するなど、指導者としてもランナーとしても常に律しながらの歩みを進めている。

現在の活動[編集]

2021年1月。走る側、指導する側だった岩本はレース開催を思いつく。これまで岩本が挑戦し続けてきたスパルタスロンやBadwater135などのハイレベルなレースは先着順や抽選ではなく、出場するための資格が求められる。

しかし、コロナ禍の影響で日本中からあらゆるレースが消え、それらの大会出場資格を獲る機会が奪われてしまうことに危機を感じ、このままでは多くのランナーが世界挑戦の道は絶たれてしまうことになる。レースのない日本に於いては参加資格を獲ることは事実上不可能であるため、自ら「JAPAN TROPHYシリーズ」というレースを開催することを決意する。(JAPAN TROPHYシリーズは、娯楽性を削ぎ落とし、数十名の参加者に絞ったエリートたちのためのレース。2021年大会にはスパルタスロン、Badwater135、世界選手権優勝、世界選手権代表などの実績を持つランナーを筆頭に国内最高峰のレースに相応しい顔ぶれが揃った。)

コロナ禍が落ち着きを見せた2023年にも引き続きJAPAN TROPHYシリーズは開催され、多くのトップ選手の戦いの場となっている。

主な戦績[編集]

  • 2002年 スパルタスロン(ギリシャ246km) 初完走
  • 2003年 スパルタスロン(ギリシャ246km) 6位 27時間23分
  • 2004年 24時間走アジア選手権(台北) 2位 247.260km
  • 2006年 24時間走世界選手権国内選考会 優勝 244.739km
  • 2007年 スパルタスロン(ギリシャ246km) 7位 28時間14分
  • 2010年 BADWATER135(アメリカ217km) 初完走
  • 2011年 BADWATER135(アメリカ217km) 5位 27時間30分
  • 2013年 BADWATER135(アメリカ217km) 19位 31時間34分
  • 2016年 BADWATER135(アメリカ217km) 41位 37時間34分
  • 2017年 BADWATER135(アメリカ217km) 27位 36時間00分
  • 2018年 Badwater Salton Sea(アメリカ130km)4位
  • 2019年 Badwater Salton Sea(アメリカ130km)優勝
  • スパルタスロン 完走7回
  • BADWATERウルトラマラソン 完走5回
  • 24時間走世界選手権日本代表 4回

著作[編集]

  • あなたも3時間30分が切れる (ランナーズブックス 2008年)
  • 非常識マラソンメソッド (ソフトバンククリエイティブ 2009年)
  • フルマラソンがもう一度速くなる30のスイッチ (ランナーズブックス 2010年)
  • 非常識マラソンマネジメント (ソフトバンククリエイティブ 2011年)
  • 100kmマラソンは誰でも快走できる (ランナーズブックス 2012年)
  • 違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式 (講談社 2013年)
  • 型破りマラソン攻略法 (朝日新聞出版 2015年)
  • 限界突破マラソン練習帳 (講談社 2016年)
  • 完全攻略ウルトラマラソン練習帳 (講談社 2017年)

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 岩本能史さん『自己ベスト必達のためのマラソン・マネジメント』スペシャルセミナー開催!”. 朝日新聞出版 最新刊行物. 2023年1月25日閲覧。

外部リンク [編集]