岩井半四郎 (6代目)

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ろくだいめ いわい はんしろう
六代目 岩井 半四郎

『花菖蒲浮名顔触』のげい者おしゅん
屋号 大和屋
生年月日 1798年
没年月日 1836年5月22日
襲名歴 1. 初代岩井久次郎
2. 二代目岩井粂三郎
3. 六代目岩井半四郎
俳名 袖歌、梅我
五代目岩井半四郎
兄弟 七代目代岩井半四郎

六代目 岩井半四郎(ろくだいめ いわい はんしろう、寛政10年〈1798年〉 - 天保7年4月8日1836年5月22日〉)とは、江戸時代後期の歌舞伎役者屋号大和屋俳名は袖歌・梅我。

来歴[編集]

名優五代目岩井半四郎の子。はじめ岩井久次郎と称し、子役として舞台に出る。文化9年(1812年)11月に父の前名二代目岩井粂三郎を襲名。文政12年(1829年)3月、火事で江戸三座が消失したことにより旅回りに出て、翌年まで京や大坂などの舞台を勤めた。その後江戸に戻り、天保3年(1832年)11月に六代目岩井半四郎を襲名する。女形として先代である父の芸を受け継ぎ、人気を博したが、天保7年2月森田座に出演中、病により途中で休演し同年4月に没す。享年39。戒名は深窓院梅我日鮮信士。死後、半四郎の名跡は弟の初代岩井紫若が七代目として継いでいる。

参考文献[編集]

  • 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年