山田御井広人

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山田御井 広人(やまだのみい の ひろひと)は、奈良時代貴族氏姓は山田のち山田三井宿禰官位従五位下参河介

経歴[編集]

聖武朝天平10年(738年)の駿河国正税帳に、上総国より進上文石使として名前が現れている。この時の位階大初位下

天平勝宝7歳(754年)広人および一族で孝謙天皇乳母の一人であった山田比売島ら7人が山田史から山田御井宿禰に改姓した。天平宝字8年(764年)9月の藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に付いたらしく、乱後の10月には従五位下参河介に叙任されている。なお同時に参河守には中臣伊勢老人が任ぜられている。

官歴[編集]

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 駿河国正税帳『大日本古文書』2巻107頁

参考文献[編集]