山本真平

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山本真平

山本 真平(眞平、やまもと しんぺい、1893年明治26年)11月20日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚検察官台湾総督府食糧局長。

経歴・人物[編集]

山本芳太郎の二男として大分県北海部郡臼杵町(現・臼杵市)に生まれる[2]1919年(大正8年)7月に東京帝国大学法科(英法)を卒業し、山下汽船鉱業(商船三井の前身企業のひとつ)に入社する[1]。のち法曹界に転じ、1922年(大正11年)5月、宇都宮地方司法官試補、大阪区裁判所検事を経て、1928年(昭和3年)7月に渡台し、台北地方法院検察官となる[1]

ついで台湾総督府官房法務課、法務課長事務取扱、法務課長、府審議室兼務、府総動員関係軍機文書取扱主任、府人事課長を経て[1]1939年(昭和14年)12月に台湾総督府食糧局長に就任[2]1941年(昭和16年)5月に退官し、皇民奉公会中央本部事務総長に転じた[2][3]

脚注[編集]

参考文献[編集]