山本光宏
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山本 光宏(やまもと みつひろ、1963年9月21日 - )は、日本のトライアスロン選手。東京都台東区出身。179cm/70kg。
法政大学経済学部卒。トライアスロン黎明期より日本を代表する選手として活躍し、日本トライアスロン界における競技の普及・発展に貢献している。
国際トライアスロン連合が主催する第1回世界選手権(1989年 フランス/アビニオン)と第4回世界選手権(1992年 カナダ/ムスコカ)に日本代表として出場。また世界最高峰のレースとも呼ばれるハワイのアイアンマン世界選手権で4度、日本人選手の最高位でフィニッシュしている。他にも1988年の全日本トライアスロン宮古島大会[1]や1995年の佐渡国際トライアスロン大会[2]での優勝など数々の大会で実績を残している。
現役引退後は、テレビ解説や国際大会のレースディレクター、大会MCとしても活躍している。オリンピックにおいては、2000年シドニーオリンピックから、2016年リオデジャネイロオリンピックまで、5大会連続でテレビ解説を担当している。指導者としては、トライアスロン選手への指導のほか、最近では陸上・長距離選手への指導も行っている。とくにマラソン・ランナーの早川英里([3]TOTO=所属当時)をアジア競技大会の日本代表にまで育て上げたことは、有名な話である[4]。
2019年2月1日付でTOTO陸上競技部[5]の監督に就任している<ref>[https://jp.toto.com/sports/field/player/TOTO陸上競技部]2019年2月17日閲覧 。</ref>。
脚注[編集]
- ^ “全日本トライアスロン宮古島大会”. 2018年12月12日閲覧。
- ^ “トライアスロンメディアガイド”. 公益社団法人日本トライアスロン連合. 2018年12月12日閲覧。
- ^ “TOTO:トイレ・ユニットバス・システムキッチン・洗面所・リフォーム・増改築”. jp.toto.com. 2019年1月16日閲覧。
- ^ マラソン10年で始まったアスリート人生 遅咲き早川英里、初のアジア大会へ スポーツナビ、2014年9月24日閲覧。
- ^ “選手・スタッフ紹介” (日本語). 陸上競技部:TOTO. 2019年2月17日閲覧。