小西作太郎

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小西 作太郎(こにし さくたろう、1892年5月25日 - 1985年2月5日)は、日本の実業家朝日新聞社元常務。全国高校野球の生みの親でもある。京都府京都市出身。

経歴・人物[編集]

1918年京都大学工学部卒業。1921年朝日新聞社に入社し、印刷部長、印刷局長、常務などを歴任し、特に印刷部門でアメリカから高速度輪転機を導入したり[1]、他社よりも先駆けて、扁平活字を考案し、採用した[2]

京都第二中学時代は捕手を務め、のちに京都市長となる高山義三とバッテリーを組んだ[2]第三高校では主将となり、高山と相談した上で、大阪朝日京都通信部主催で、中等野球の京津大会の開催を実現させた[2]。これが契機となり、全国中等学校優勝野球大会が始まった[2]。第1回大会から審判委員を務め、日本高校野球連盟顧問も務め、長期にわたって、大会運営に携わった[2]

1985年2月5日肺炎のために西宮市の病院で死去[2]。92歳没。

脚注[編集]

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  1. ^ 朝日新聞社史 大正・昭和戦前編 p201-p204
  2. ^ a b c d e f 1985年 2月6日 朝日新聞 朝刊 p23