小川元政

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小川 元政(おがわ もとまさ、永禄6年(1564年) ‐ 慶安4年(1651年1月26日)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。通称は五郎兵衛。

生涯[編集]

近江豪族小川氏出身、弟に小川次郎兵衛がいる。

始め増田長盛に仕えるが、関ヶ原の戦いで増田家が改易されると浪人となった。

その直後の慶長6年(1601年)に藤堂高虎に召し出され300石を与えられた。

大坂の陣に従軍し武功を挙げ、加増され900石となった。この際弟・次郎兵衛は豊臣方として参戦し、敵対していた。また旧主・長盛は豊臣家内通の疑い[1]で切腹を命じられた。

戦後、弟・次郎兵衛が主君・高虎によって200石で召し出されている。

その後、更に100石を加増され1千石となる。

慶安4年(1651年1月26日死去。なお同年2月17日に弟・次郎兵衛も死去している。

脚注[編集]

  1. ^ 息子の増田盛次は冬の陣では徳川方だったが、夏の陣で豊臣方に参戦し、討ち死。

参考資料[編集]

「藤堂高虎家臣辞典」