富士親時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
富士親時
時代 室町時代
改名 又次郎(幼名)→親時
官位 能登守
氏族 富士氏
父母 父:富士忠時
富士信盛
テンプレートを表示

富士 親時(ふじ ちかとき 生没年不詳)は、室町時代富士山本宮浅間大社大宮司で、富士氏当主。

略歴[編集]

明応2年(1493年)十一面観音像の銘
大宮司親時の部分が見える

富士忠時の子である。文正元年(1466年)の「足利義政御内書」で富士忠時から富士親時への大宮司職の移動を伝えられており、このとき浅間大社の大宮司職に就いている[1]。またその後親時は明応6年(1497年)に、浅間大社の物忌令を発給している[2]

富士大宮司は富士山の祭祀を司る身であるが、親時は富士山への仏像類の奉納を繰り返した。文明10年(1478年)に父忠時と共に富士山頂の大日堂に仏像を奉納し、明応2年(1493年)5月16日には十一面観音像[3]を富士山頂東賽ノ河原に奉納していることが確認されている。銘文には「檀那富士大宮司親時」とある[4]。この十一面観音像については『甲斐国志』にも記述が残り、『甲斐国志』巻三十五には「東ノ斉ノ河原ト云十一面観音ノ鉄像アリ(中略)檀那富士大宮司親時(中略)明応二年(癸丑)五月十六日…」とある。

参考資料[編集]

  • 大石泰史「十五世紀後半の大宮司富士家」『戦国史研究』第60号、戦国史研究会、2010年
  • 宮地直一『浅間神社の歴史』、古今書院、1929年
  • 富士宮市教育委員会『元富士大宮司館跡』、2000年

脚注・出典[編集]

  1. ^ 文正元年10月11日「足利義政御内書写」(『戦国遺文』今川氏編28号)
  2. ^ 明応6年7月2日「富士浅間宮物忌令」(『戦国遺文』今川氏編106号)
  3. ^ 現在は東京都葛飾区の柴又帝釈天に所在
  4. ^ 富士吉田市歴史民俗博物館、『富士の神仏‐吉田口登山道の彫像‐』P58、2008