安田善衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
季重神社(2015年)

安田 善衛(やすだ よしえ、1876年明治9年〉2月10日 - 没年不詳)は、日本実業家。元保善社理事

人物・経歴[編集]

安田忠兵衛の長男として生まれる。幼名、芳次郎。1895年に家督を相続した。群馬商業銀行頭取、京都銀行頭取、第三銀行取締役安田商事取締役、安田銀行取締役[1]保善社理事等を歴任した。1921年に安田善次郎が死去すると、安田善四郎安田善助とともに保善社理事を辞任した[2][3]

牛込区(現、新宿区納戸町に居住したほか[1]中央本線豊田駅北口に屋敷を、平山橋北の七生村大名淵(だいみょうぶち)にも別荘を所有し、浅川の別荘対岸に桜並木を植えたり、趣味の篆刻で豊田駅の駅名看板を作成して寄付するなどした。屋敷に能舞台を設置し、謡曲の教授なども行った[4][5]

日野尋常高等小学校豊田分教場(現、日野市立豊田小学校)では、優秀な卒業生に送る安田賞を創設した[4]1950年代の別荘取壊し時に移築された敷地内の稲荷は、平山季重神社の祠として整備され、2005年に50年ぶりに建て直されるまで使われた[5]

親族[編集]

父は安田忠兵衛[1]安田善次郎は伯父[6]。妻テルは塩屋方圀の長女。妹ちせは安田善八郎の妻。安田善弥は弟[1][7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 「安田善衛 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  2. ^ 小早川洋一「安田善次郎死後の安田財閥の再編成 - 結城・森改革の過程と意義について -」『経営情報学部論集』第1巻第1号、中部大学経営情報学部、1985年1月、27-42頁、ISSN 0910-8874CRID 1050845763477988992 
  3. ^ 宇田川勝「財閥の改革者 ―結城豊太郎と池田成彬― (日本の企業家活動シリーズ No.40)」法政大学
  4. ^ a b 第15話  安田善衛と安田賞野市郷土資料館
  5. ^ a b 季重神社日野市観光協会
  6. ^ 六車美保「吉田包春と奈良女子大学所蔵正倉院模造宝物」人間文化研究科年報 = Annual reports of Graduate School of Humanities and Sciences (32), 167-176, 2016
  7. ^ 「安田善彌 (男性)」日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース