姚賈

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姚 賈(よう か、生没年不詳)は、中国戦国時代末期から秦代にに仕えた梁国()出身の人物で縦横家または政治家。元は貧民の出自であり、父親は城門の衛兵であった。

経歴[編集]

謀臣姚賈[編集]

姚賈は初めは趙国の謀臣で三晋(趙・・魏)を合従させ、秦に対抗させようと活動していた。しかし秦の謀略の為に趙を追われることになり、秦に逃げ込むと秦王政(後の始皇帝)に仕え、今度は秦の謀臣として楚・・趙・魏の各国の要人に賄賂を贈って秦に対して連携できない様に活動し、後にその功績を認められて上卿に取り立てられた。

韓非を害す[編集]

韓非が秦に訪れた際、韓非は秦王政に姚賈を指して散々貶し、後に韓非のその言葉を元に政から問いただされた姚賈は弁解したものの、それを恨みに思い李斯と共謀して韓非を死に至らしめた[1]とも言われる。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 戦国策 秦策五