太閤下水

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太閤下水(たいこうげすい)は豊臣秀吉16世紀後半に大坂に整備した下水道である[1]。背割下水(せわりげすい)ともいう[2]

概要[編集]

天正期の大坂城築城に伴う城下町建設で町家からの生活排水を流すために整備され、下水路に挟まれた約40(約72m)四方の区画が町割りの基準となった。下水路の幅は標準で3尺(約30cm)から4尺(1.2m)、広いものでは1間(1.8m)から2間(3.6m)のものがある。下水路の両側は石垣で補強されている。

秀吉以降、江戸時代明治維新以後も太閤下水を基に整備され、現代においても太閤下水は利用されている。

文化財[編集]

2005年(平成17年)に7キロ余りが「中央部下水道改良事業の下水道敷(通称「太閤下水」)」の名称で大阪市の史跡に指定された[3][4]

見学[編集]

事前に予約することで一部を見学することができる[5]

脚注[編集]

  1. ^ 太閤(背割)下水見学施設
  2. ^ 太閤下水の流れ 受け継いで400年
  3. ^ 中央部下水道改良事業の下水道敷(通称「太閤下水」)
  4. ^ 豊臣石垣コラム
  5. ^ 太閤下水(背割り下水)

外部リンク[編集]