太田道灌状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

太田道灌状(おおたどうかん じょう)とは、戦国時代日本書状の一つ。文明12年?10月27日?/11月28日?(ユリウス暦1480年?11月28日?/?12月29日?)[1]扇谷上杉氏の家宰・太田道灌山内上杉氏の家臣・高瀬民部少輔に提出した。國學院大學図書館所蔵。 内容は長尾景春の乱(享徳の乱の後半)における道灌自身の活躍ぶりについて39か条にわたって記されたものである。そこにはまた道灌の功績を正当に評価しない主家に対する道灌の不満やいら立ちがこめられている[2]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 日付に関して、多くの資料に「文明10年(1480年)11月28日」とあるが、旧暦新暦で日付け(月日)が合致することはあり得ないため、この日付のデータが正しい可能性はゼロである。旧暦の文明12年11月28日は新暦(ユリウス暦)の1480年12月29日、新暦の1480年11月28日は旧暦の文明12年10月27日であるが、「11月28日」が旧暦と新暦のどちらの日付なのか確認できていないため、現状では、正しい日付の表記は不可能である。
  2. ^ 黒田基樹氏による読み下し文と口語訳を参照(黒田基樹 2009, pp. 133-153)

参考文献[編集]

  • 『図説太田道灌:江戸東京を切り開いた悲劇の名将』 戎光祥出版、2009年ISBN 9784900901995 

関連項目[編集]