大阪朝報

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大阪朝報は明治時代の日刊紙。発行は大阪経済社。創刊は1902年(明治35年)7月1日、終刊は1903年(明治36年)4月[1][要ページ番号]、発行は第28号より大阪朝報社となる。なお、前身は「大阪経済雑誌」であった。経営は宇田川文海

終刊後は1903年(明治36年)7月26日より「大阪毎週新聞」として週刊紙となり、さらに同年8月16日より「大阪朝報」として継続したがのち廃刊。 日刊紙時代に管野スガが記者をしていた。俳壇選者は梅沢墨水であった。

1923年(大正12年)9月には、大阪朝報出版部より『大電買收裏面史』が出版されており、大阪朝報社は長く存在していたことが分かっている[2][3]

大阪朝報での管野スガの論説[編集]

  • 「紳士紳商と申すやからの夫人の境遇は如何(いかん)。夫は社交と称し醜業婦と日夜戯れ、若い女に号数をつけ妾に囲ってゐる」
  • 「妻君は夫の不品行・醜態の数々に知らぬふりをし、嫉妬(しっと)せぬと賢女、貞女なりと世人はいう」
  • 「同胞を奴隷化し、人類に階級を設けてこき使ふ雇主ども」
  • 「被雇人は天下に恥じず。自ら卑屈になることなかれ」

などと論じ、女工の虐待や赤線廃止をテーマに人権尊重、女権拡張を主張した[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『管野須賀子全集』年譜
  2. ^ 国立国会図書館サーチ『大電買收裏面史』
  3. ^ 日本の古本屋 『大電買收裏面史』
  4. ^ 三善貞司 (2005年6月4日). “なにわ人物伝 管野スガ(2)”. 大阪日日新聞. https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa050604.html 2016年11月1日閲覧。 

参考文献[編集]