大藪房次郎
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大藪 房次郎(おおやぶ ふさじろう、1852年2月9日(嘉永5年1月20日[1][2])- 1927年(昭和2年)5月2日[3][4])は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]筑後国御井郡久留米城下苧扱川町(現福岡県久留米市本町)[3]で、富豪・大藪萬蔵の長男として生まれる[2][3]。1900年(明治33年)8月に分家した[2]。
第六十一国立銀行取締役、久留米紡績会社社長、筑後水力電気顧問、大川鉄道顧問などを務め、市営瓦斯事業の開始などに尽力し、貧困層への義捐などを行った[2][3][4][5]。
政界では、1889年(明治22年)4月の市制施行の際に久留米市会議員に選出されたが数ヶ月で辞職[3]。その後、市参事会員に就任[3]。1889年(明治22年)4月から1914年(大正3年)まで久留米市会議員に選出され、その他、所得税調査委員会会長、宅地価修正委員会会長などを務めた[3][4]。1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙で福岡県久留米市から出馬し、浅野陽吉と争って当選し、その後正交倶楽部に所属して衆議院議員を1期務めた[3][4][5]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 篠原正一『久留米人物誌』久留米人物誌刊行委員会、1981年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録』第5版、1918年。