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大神奥守

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大神 奥守(おおみわ の おきもり、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣位階従五位下

経歴

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淳仁朝天平宝字8年(764年)正月、正六位上から従五位下に叙爵[1]

史書における記述は以上だが、『万葉集』巻第十六には、池田真枚と推定されている池田朝臣が大神奥守を嗤った歌

寺々の 女餓鬼(めがき)(まを)さく 大神(おほみわ)の 男餓鬼(をがき)(たば)りて その子孕まむ (寺々の 女餓鬼が申すには 大神の 男餓鬼を頂いて その子を生みたいとさ)

に対し、

仏造る ま朱(そほ)足らずは 水溜まる 池田の朝臣(あそ)が 鼻の上を掘れ (仏を造る 朱砂が足りなかったら (水溜まる) 池田の朝臣の 赤っ鼻を掘れ)

を詠んでいる[2]

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第二十五、廃帝 淳仁天皇 天平宝字8年正月7日条
  2. ^ 『万葉集』巻第十六、3840番・3841番

参考文献

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