声王 熊当 | |
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楚 | |
王 | |
王朝 | 楚 |
在位期間 | 前408年 - 前402年 |
都城 | 郢 |
姓・諱 | 熊当 |
諡号 | 声桓王 |
没年 | 紀元前402年 |
父 | 簡王 |
后妃 | 曾姫无恤[1] |
声王(せいおう、? - 紀元前402年、在位:紀元前408年 - 紀元前402年)は、声桓王[2](せいかんおう)ともいい、中国の春秋時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は当。
楚の簡王の子として生まれた。紀元前408年、簡王が死去すると、楚王として即位した[3]。
在位4年、宋の休公や鄭の繻公が来朝した。声王は宋公に命じて楡関に築城させた[4]。
声王は在位わずか6年で盗賊に殺され、子の悼王が即位した[3]。
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