土橋亭里う馬 (7代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
7代目 土橋亭 里う馬どきょうてい りゅうば
本名 村松 新三郎
別名 「黒の里う馬」
生年月日 1846年9月
没年月日 1920年5月21日
出身地 日本の旗 日本・江戸両国米沢町
師匠 3代目金原亭馬生?
三遊亭圓朝
4代目三遊亭圓生
名跡 1. 馬圓(時期不明)
2. 三遊亭圓新(1887年 - 1897年
3. 7代目司馬龍生1897年 - 1902年
4. 7代目土橋亭里う馬1902年 - 1920年
活動期間 ? - 1920年
所属 三遊派

7代目土橋亭 里う馬(どきょうてい りゅうば、弘化3年9月1846年) - 大正9年(1920年5月21日)は東京の落語家。本名村松新三郎。

江戸両国米沢町生まれ。若くして天狗連に入り猿若町の市村座などの木戸芸者(劇場の入口で役者の声色などの芸をしながら、劇の案内や宣伝をする職員)鶴八(または鶴寿)と名乗る。木戸芸者を辞めて3代目金原亭馬生?山亭馬久二とも、多説あり)に弟子入りし馬圓。旅回りを長期の間続ける。

転機がおとずれたのが、1887年(明治20年)頃。新潟での巡演中、三遊亭圓朝門人の2代目橘家圓太郎1879年の火事で死に無縁仏となっていたのを手厚く供養した。その事が圓朝に知れ、圓朝は新潟に赴き盛大な法事を行い、お礼に馬圓を一門に加え三遊亭圓新の名を与えたのである。

以後は東京で活躍。講釈ネタなど珍しい演目が多く、淡々と語る芸はかなりの力量であったという。1897年(明治30年)頃、4代目三遊亭圓生門で7代目司馬龍生1902年(明治35年)10月、7代目土橋亭里う馬を襲名した。色黒なので「黒の里う馬」と呼ばれた。