四つの近代化

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四つの近代化(よっつのきんだいか、四个现代化拼音: sì ge xiàndàihuà)は、中華人民共和国で策定された国家計画であり、国民経済において、工業、農業、国防、科学[技術の四つの分野で近代化を達成することを目標とした[1]

概説[編集]

このような4部門での近代化は、建国以来の中国共産党指導者たちの重要な目標であった[2]1956年には、劉少奇が中共第8回全国大会における「政治報告」において[2]1964年には、周恩来が第3期全人代第1回会議での「政府活動報告」が提起している[1][2]。周恩来は1973年にも、「四人組」との激しい確執を経つつも、中共第10回全国大会を主催し、林彪事件にも決着を付け、さらに鄧小平の復活を果たし、1975年1月に11年ぶりに第4期全人代第1回会議を主催した[2]。ここで、周恩来は「政府報告」を行い、その中で「今世紀内に農業、工業、国防、科学技術の全面的な近代化を実現し、中国の国民経済を世界の前列に立たせる」と提唱した[2]。しかし、劉と周のこれらの提唱は、大躍進や文化大革命の嵐の前に吹き飛ばされ実現しなかった[2]。 周恩来は、陳雲、王震らの幹部とともに、引き続き行政や経済の立て直し(経済整頓)に奔走したが、このときには、彼の体をガンが蝕んでいた[3]。病床に伏す時間の多くなった周に代わって日常工作を取り仕切る人物として、鄧小平の存在が再び浮上した[3]。毛沢東と周恩来の合意の下に、1973年3月以降、鄧小平は国務院副総理の職務を回復していたのである[3]。しかし、周や鄧の「脱文革」と「整頓・建設」路線は、文革の推進者である江青らの「四人組」の激しい攻撃にあった[4]1976年1月8日、周恩来が死去すると、鄧小平は後ろ盾を失った[5]。1月15日に周の追悼集会が開かれ、そこで弔辞を述べた鄧小平は、その直後権力の座から引きずり降ろされた[5]。同年9月9日毛沢東が死去すると、「四人組」と「反四人組グループ」の権力闘争が激しくなり、「四人組」逮捕を経て、「あなたがやれば私は安心だ」という「遺訓」をうけたとされた華国鋒が実権を握ることとなった[6]。華は、毛沢東路線の忠実な後継者であることを示すために、「二つのすべて」を掲げると同時に、独自に経済再建に取り組んだ。1978年2月の第5期全人代第1回会議が開かれ、そこでも「四つの近代化」を掲げた[7]。しかし華国鋒体制下の経済建設計画は、もともと極めて少ない外資が底を尽き行き詰った[8]。しかも中国経済の現実に立脚していなかったため、先進技術の効果的な利用もままならず、大量の経済浪費を生み出した[8]。鄧小平、陳雲らは華の政策を、「大躍進」をもじって、「洋躍進」と批判した[9]。1978年の中共第11期三中全会において、「二つのすべて」派が退場した後の1979年に、鄧小平は「四つの近代化」を国の最重要課題と位置付けた[1]。その内容は、<1>まず国民総生産(GNP)を1980年の2倍にする、<2>20世紀末までにGNPをさらに2倍にし、国民生活をある程度裕福な水準に高める、<3>21世紀半ばまでにGNPをさらに4倍にし、中進国の水準にする、という3段階で実現を目指すことが決まった[1]1982年に制定された現行の中華人民共和国憲法おいて前文に記述された[1]「(第7段目)中国の各民族人民はひきつづき中国共産党の指導のもと、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想の誘導のもと、人民民主独裁を堅持し、社会主義の道を堅持し、たえず社会主義の諸制度を改善し、社会主義的民主を発展させ、社会主義の法制度を健全にし、自力更生、刻苦奮闘、工業、農業、国防、科学技術の近代化を逐次実現し、わが国を高度の文明と高度の民主主義をそなえた社会主義国家に建設するであろう」とある[10]。最近では、世界最先端のハイテク技術の導入に関心が移っている[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 峯村(2011年)84ページ
  2. ^ a b c d e f 天児(2013年)104ページ
  3. ^ a b c 天児(2013年)105ページ
  4. ^ 天児(2013年)106ページ
  5. ^ a b 天児(2013年)109ページ
  6. ^ 天児(2013年)115ページ
  7. ^ 天児(2013年)116ページ
  8. ^ a b 天児(2013年)118ページ
  9. ^ 天児(2013年)119ページ
  10. ^ 竹内(1991年)110ページ

参考文献[編集]

  • 國谷知史・奥田進一・長友昭『確認中国法用語250words』(2011年)成文堂
  • 天児慧著『中華人民共和国史(新版)』(2013年)岩波新書
  • 竹内実編訳『中華人民共和国憲法集 中国を知るテキスト1』(1991年)蒼蒼社