若原春江
表示
(和歌浦小浪から転送)
わかはら はるえ 若原 春江 | |
---|---|
1948年 | |
本名 | 斎藤 昌子 |
別名義 |
和歌浦 小浪 和歌山 小浪 |
生年月日 | 1919年5月14日 |
没年月日 | 1996年10月6日(77歳没) |
出生地 | 東京府東京市麻布区 |
職業 | 女優、歌手 |
ジャンル | サイレント映画、トーキー |
活動期間 | 1935年 - 1960年 |
若原 春江(わかはら はるえ、1919年5月14日 - 1996年10月6日)は、日本の女優、歌手である。本名、斎藤 昌子(さいとう まさこ)。旧芸名は和歌山 小浪(わかやま こなみ)、および和歌浦 小浪(わかうら こなみ)[1]。
人物・来歴
[編集]1919年(大正8年)5月14日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区麻布地区)に生まれる。
宝塚音楽歌劇学校豫科1年修了後、松竹楽劇部を経て1935年(昭和10年)、日活多摩川撮影所製作、田口哲監督による『ためらふ勿れ若人よ』で映画デビューする[1]。ポリドールからも歌手デビューする。
1938年(昭和13年)、東宝映画へ移籍して若原春江と改名、大谷俊夫監督の『エノケンの風来坊』で再デビューする[2]。戦後はフリーとなり、レコード会社は日本コロムビアに移る。ヒット曲は藤山一郎と歌った『戀は馬車に乘つて』。
映画出演は、1952年(昭和27年)、道林一郎監督の『川辺りの少年達』や翌年の山村聰監督の『蟹工船』が最後の記録で[2]、テレビ映画にも出演したが、1959年(昭和34年)の『鉄腕アトム』でのアトムのママ役が最後の出演記録である[3]。
主なフィルモグラフィ
[編集]- ためらふ勿れ若人よ (1935年) - 和歌山小浪 名義
- 魂を投げろ(1935年) - 和歌浦小浪 名義
- 蒼氓 (1937年) - 和歌浦小浪 名義
- エノケンの風来坊 (1938年) - 若原春江 名義
- プロペラ親爺 (1939年) - 若原春江 名義
- 彦六なぐらる(1940年) - 若原春江 名義
- 秀子の応援団長(1940年)
- 指導物語(1941年) - 次女・咲子 役
- 翼の凱歌(1942年)
- 川辺りの少年達 (1952年)
- 蟹工船 (1953年)
- ぽんぽこ物語[4](1957年)
- 鉄腕アトム(1959年-1960年、フジテレビジョン、テレビ映画) - アトムのママ 役
脚注
[編集]- ^ a b 和歌浦小浪、日本映画データベース、2011年5月29日閲覧。
- ^ a b 若原春江、日本映画データベース、2011年5月29日閲覧。
- ^ 若原春江、テレビドラマデータベース、2011年5月29日閲覧。
- ^ “日本初の連続テレビ映画 第一号作品『ぽんぽこ物語』―”テレビの原点”秘蔵フィルム復刻レストア特別配信セレクション―”. PR TIMES (PR TIMES). (2021年11月4日) 2024年4月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- Harue Wakahara - IMDb
- Konami Wakayama - IMDb
- 若原春江 - 日本映画データベース
- 和歌浦小浪 - 日本映画データベース
- 若原春江 - KINENOTE
- 和歌浦小浪 - KINENOTE
- 若原春江 - allcinema
- 和歌浦小浪 - allcinema
- 若原春江 - テレビドラマデータベース