吉田資治

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吉田 資治(よしだ すけはる、1904年(明治37年)1月11日 - 1992年(平成4年)10月)は、日本の労働運動家政治活動家で、日本共産党幹部。産別会議議長や日本共産党幹部会名誉委員をつとめた。東京都足立区長をつとめた吉田万三の父。

生涯[編集]

富山県出身。早稲田工手学校(現早稲田大学芸術学校)卒。

東京電灯につとめ、1926年(大正15年)関東電気労組書記となる。1928年(昭和3年)共産党に入党、治安維持法違反で2度検挙された。戦後、党再建と産別会議結成に参加、1949年(昭和24年)産別会議議長。のち共産党幹部会委員、中央統制委員会議長。衆院東京6区より何度も立候補、当選にはいたらないまま不破哲三に地盤を譲った。

参照[編集]