吉田生風庵

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吉田生風庵 露地

吉田生風庵(よしだしょうふうあん)は、表千家で代々宗匠を務める名古屋の茶家。吉田家の庵号は生風庵という。

歴史[編集]

もともと吉田家は三河の出生であり、戦国時代には今川家に仕えて戦時は陣中の幕を、平時は殿中の飾りつけを司っていたと伝わる。桶狭間の戦いに従軍した際に負傷し、以後は名古屋の橘町にて商いを始めたという。屋号は今川家に仕官していた時の仕事に因み「幕屋」とした。

茶家としての吉田家のはじまりは江戸時代末期である。初代吉田紹和茶の湯を好み、15歳の時に茶道修業のため上洛、表千家流堀内家堀内不識斎に師事した。その後、不識斎の紹介で表千家10代家元吸江斎のもとへ入門し、表千家の宗匠となった。名古屋へ帰郷した後は、尾張藩家老石河氏専修寺大門主に茶の湯をもって仕えた。以後、吉田家当主は紹和の建てた茶室の庵号「生風庵」を継承し、名古屋の表千家流宗匠家として中部茶道界において中心的役割を果たしている。なお、現在も吉田生風庵の当主は代々表千家不審庵家元千宗左のもとで修業し、皆伝をされる習わしである。

また、生風庵の当主は代々茶菓子をもって表千家不審庵の一門となっているため、初釜、茶会などにおいては茶菓子を供することになっており、名古屋の主だった名門茶菓子店は、生風庵の助言の下に茶菓子を作り出してきたという歴史を持っている。現在も生風庵は、京都大徳寺などの寺院、豊川稲荷などの神社での献茶の際の茶菓子を供する。

第4代紹清の時に名古屋市昭和区菊園町にあった茶室である生風庵は米国カリフォルニア州ロサンゼルスハリウッドワルツパークの日本庭園に移されたが、第5代紹村は愛知県名古屋市中区瓦町に居を移した。現在も吉田生風庵は、中部地区を代表する表千家流宗匠家として存続し、毎年1月6日に中区新栄の生風庵で初釜、5月と11月に昭和区八事の料亭、八勝館で生風大会、7月に名古屋国際ホテルで納涼茶会を催すなど江戸時代末期以来、表千家流茶道の伝統を継承している。

歴代[編集]

第5代吉田紹村[編集]

明治41年(1908年)9月20日、愛知県名古屋市生まれ。本名、吉田堯文。名古屋の表千家不審庵流茶家、表千家吉田生風庵第4代吉田紹清の長男。旧制愛知一中第八高等学校を経て京都帝国大学文学部卒業。表千家不審庵第12代、第13代千宗左について茶道を学ぶ。恩賜京都博物館(現京都国立博物館)鑑査員を経て、昭和41年(1966年)、表千家吉田生風庵第5代を継ぐ。七事式の研究など、茶道の学問的研究に尽くした。昭和45年(1970年)9月17日、死去。享年61。号は紹村。

著書[編集]

  • 「表千家流点前(正篇)」(茶道文庫1) 河原書店、2000年改訂 ISBN 978-4761100018
  • 「表千家流点前(続篇)」(茶道文庫21)河原書店、1985年改訂 ISBN 978-4761100216
  • 「千家七事式」(茶道文庫14) 河原書店、1988年改訂 ISBN 978-4761100148

脚注[編集]

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関連項目[編集]

座標: 北緯35度9分54.1秒 東経136度55分0.8秒 / 北緯35.165028度 東経136.916889度 / 35.165028; 136.916889