専修寺

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専修寺(せんじゅじ)は、浄土真宗10派のうちのひとつの真宗高田派寺院。山号は「高田山」。本山は三重県津市一身田町に、本寺は栃木県真岡市高田にあり、本寺の住職は本山専修寺の住職が兼任している。「専修寺」の名の由来は浄土系宗派の特徴である専修念仏に基づく。

本寺専修寺[編集]

本寺専修寺 御影堂

地理院地図 Googleマップ 栃木県真岡市

1225年(嘉禄元年)、浄土真宗の開祖親鸞が、関東各地の教化に入って十余年、真岡城大内氏の懇願により建てられた寺院と伝えられる。その際、善光寺の本尊である秘仏を模造した一光三尊仏を本尊に迎え安置、二十四輩の第二番であり、親鸞門弟の有力者の一人であった真仏が管理に当たっていたものと推定されている。

建立の翌年には、朝廷から「専修阿弥陀寺」という勅願寺綸旨を受け、親鸞の教化活動は遊行から本寺中心に変わり、建立後約7年間この寺で過ごしたとしている。このように、本寺は東国における初期の浄土真宗の教団活動上重要な役割を果たした寺である。真仏を中心とした門徒衆は、関東各地の門徒が作る教団の中で最も有力な教団「高田門徒」となり、京都へ帰った親鸞からしばしば指導の手紙や本人が書き写した書物などが送られていた。

同じ浄土真宗の教団の中では、大谷廟堂(後の本願寺)が応長2年(1312年)に「専修寺」の額を掲げたが、延暦寺の反対により撤去しており、一旦は衰退するものの15世紀半ばごろに蓮如によって「本願寺教団」として急速に勢力を拡大していった。また、三門徒派専照寺も建立当初は「専修寺」と号していた[1]

専修寺を再び飛躍させたのが、東海北陸方面に教化を広めた十代真慧(しんね)であった。真慧は下野の有力領主であった宇都宮正綱の庇護を受け、その子である宇都宮成綱塩谷孝綱兄弟も真慧没後の住持不在時にもこれを手厚く保護した[2]

本寺専修寺は戦国時代大永年間に兵火によって炎上して一時荒廃したが、本寺専修寺の伽藍は江戸時代に入って再建されており本尊の一光三尊仏は今もここに安置されている。

本寺専修寺の南東およそ2kmのところに、専修寺造営中に親鸞が仮住居としていたと伝えられる「三谷草庵」が復元されている。

文化財[編集]

史跡

  • 1967年(昭和42年)7月6日、境内が国の史跡に指定された。指定名称は「専修寺境内」(せんじゅじけいだい)である。

重要文化財

  • 御影堂
    1743年(寛保3年)竣工。間口23.71m、奥行20.07mで、栃木県内の堂宇としては輪王寺の三仏堂に次ぐ大きさ。
  • 如来堂
  • 楼門
  • 総門
  • 木造顕智坐像 1310年(延慶3年)道恵、円慶作(附:木造真仏坐像 1480年(文明12年)銘)[3]

本山専修寺[編集]

専修寺
Senjuji-temple Nyoraido.jpg
如来堂(国宝)
所在地 三重県津市一身田町2819
位置 北緯34度45分43.42秒
東経136度30分12.8秒
山号 高田山
宗派 真宗高田派
本尊 阿弥陀如来
創建年 文明年間(1469年 - 1487年
開基 真慧
別称 本山専修寺
文化財 如来堂、御影堂、西方指南抄、三帖和讃(国宝)
木造阿弥陀如来立像他(重要文化財)
法人番号 7190005000763 ウィキデータを編集
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三重県津市一身田町にある専修寺は、1469 - 1487年に真慧(しんね)が伊勢国の教団の拠点として建立した。当時この寺は「無量寿院」と呼ばれており、1478年(文明10年)には真慧は朝廷の尊崇を得て、「この寺を皇室の御祈願所にする」との後土御門天皇綸旨(専修寺文書第29号)を得ることに成功した。高田の本寺が戦国時代に兵火によって炎上したことや教団の内部事情から、歴代上人がここへ居住するようになり、しだいにここが教団の中枢となった。数多い親鸞の真筆類もここへ移され、親鸞の肖像をはじめ、直弟子などの書写聖教など貴重な収蔵品を多数保持している。阿弥陀如来立像を本尊とする。本山専修寺の伽藍は二度の火災に遭ったが再建されている。浄土真宗最大宗派の東西本願寺に匹敵する広大な境内を持ち、周囲は寺内町を形成している。栃木県の本寺と区別するため、通常「一身田専修寺」と呼ばれる。

2018年にはドラマ「MAGI天正遣欧少年使節」のロケが行われた。境内の建物でロケが行われたのは、長い歴史の中でも初めてである。[4]

文化財[編集]

国宝[編集]

  • 御影堂 [5][6]
    1666年(寛文6年)に上棟した。間口42.73m、奥行33.50mの大型の堂宇。
    • 附:宮殿(くうでん)1基、旧獅子口1組
  • 如来堂[5][6]
    1748年(延享5年)上棟。専修寺の本堂。禅宗様式の外観が特徴で、この様式では国内最大規模。
    • 附:宮殿(くうでん)1基、如来堂御建立録1冊、御本山阿弥陀堂御上棟儀式御餝物1枚
  • 西方指南抄 6冊 親鸞筆 附:覚信等直門弟写本 6冊
  • 三帖和讃 親鸞筆 3冊

重要文化財[編集]

建造物
  • 「専修寺」11棟[7]
    • 山門
    • 唐門
    • 通天橋
    • 御廟拝堂
    • 御廟唐門及び透塀(附:骨堂)
    • 鐘楼
    • 茶所(進納所)
    • 太鼓門
    • 大玄関
    • 対面所
    • 賜春館
美術工芸品
  • 木造阿弥陀如来立像[8] 伝・快慶作
  • 紙本著色善信上人絵詞伝 5巻 永仁3年
  • 絹本著色阿弥陀三尊像(1904年重文指定)高麗時代
  • 絹本著色阿弥陀三尊像(1913年重文指定)鎌倉時代[注 1]
  • 紙本淡彩歌仙像(伊勢・中務・小大君) 3幅 鎌倉時代
  • 観無量寿経 後柏原天皇宸翰 1冊 附:尊盛添文1通
  • 後陽成天皇宸翰消息(伏見殿宛)
  • 水鏡 上・中・下 3帖 鎌倉時代
  • 唯信鈔 聖覚作 親鸞筆(寛喜2年・1230年)・唯信鈔文意 親鸞筆(康元2年・1257年)・唯信抄文意 親鸞筆(康元2年)
  • 親鸞聖人消息 10巻
  • 教行信証(高田本) 6冊
  • 見聞集 2冊 親鸞筆・大般涅槃経要文 1冊 親鸞筆
  • 尊号真像銘文 2冊 親鸞筆 正嘉2年(1258年)
  • 慈円自筆書状(「不可説の夢記」云々)[9]
  • 専修寺聖教(しょうぎょう)82点[8]
  • 専修寺文書(306通)11巻、1幅、7帖、284通[8]

三重県指定[編集]

名勝

出典:2000年までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

特記事項[編集]

真宗高田派専修寺(およびその末寺)では他の真宗教団と異なり歎異抄を聖典として用いていない(否定しているわけではないことに要注意)。これは「専修寺には親鸞聖人の真筆文書が多数伝来しており、弟子の聞き書きである歎異抄をあえて用いる必要性が薄い」との考えによるものである。
なお、専修寺は現存している親鸞の真筆文書の4割強を収蔵しており、これは西本願寺よりも多い数である。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 重要文化財の「絹本著色阿弥陀三尊像」は2件あり、1件は1904年、もう1件は1913年に旧国宝に指定されている。このうち、1913年指定品は鎌倉時代の作品であることが、次の資料から判明する:文部省編『日本国宝全集第56輯』、1933、p.348国立国会図書館デジタルコレクション

出典[編集]

  1. ^ 真宗三門徒派 専照寺
  2. ^ 永村眞「中世宇都宮氏とその信仰」 江田郁夫 編著『中世宇都宮氏 一族の展開と信仰・文芸』<戎光祥中世史論集 第9巻>戎光祥出版、2020年1月 ISBN 978-4-86403-334-3 P180-182.
  3. ^ 平成18年6月9日文部科学省告示第79号
  4. ^ 津フィルムコミッション「ロケっ津」Facebook
  5. ^ a b 平成29年11月28日文部科学省告示第176号
  6. ^ a b 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
  7. ^ 平成25年8月7日文部科学省告示第129号
  8. ^ a b c 平成20年7月10日文部科学省告示第115号
  9. ^ 平成21年7月10日文部科学省告示第106号
  10. ^ 本山専修寺ホームページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]