別所大塚古墳

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別所大塚古墳

墳丘遠景(右に後円部、左に前方部)
所在地 奈良県天理市別所字大塚
位置 北緯34度36分38.48秒 東経135度50分18.45秒 / 北緯34.6106889度 東経135.8384583度 / 34.6106889; 135.8384583座標: 北緯34度36分38.48秒 東経135度50分18.45秒 / 北緯34.6106889度 東経135.8384583度 / 34.6106889; 135.8384583
形状 前方後円墳
規模 墳丘長125m
高さ15m(前方部)
埋葬施設 横穴式石室(内部に組合式石棺)
出土品 (伝)人骨・金銅製鈴・鉄鏃・甲・鉄刀・土器・焼米
築造時期 6世紀
史跡 なし
地図
別所大塚 古墳の位置(奈良県内)
別所大塚 古墳
別所大塚
古墳
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別所大塚古墳(べっしょおおつかこふん)は、奈良県天理市別所にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。

概要[編集]

奈良盆地東縁、平尾山丘陵西麓の丘陵先端部を切断して築造された大型前方後円墳である。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は前方後円形で、前方部を北東方向に向ける。墳丘は2段築成[1]。墳丘表面では葺石埴輪が認められるほか、墳丘周囲には周濠・外堤が巡らされる(前方部東側では切り通しのみ)[1]。墳丘くびれ部で造出は認められない[2]。埋葬施設は後円部における横穴式石室であるが、これまでに破壊されており、現在は大きな採土跡が残る[1]。付近の大型前方後円墳の石上大塚古墳ウワナリ塚古墳(いずれも天理市石上町)と同様の大型石室であったと推測される[1]1893年明治26年)の『大和國古墳墓取調書』ではこの石室から幅約3メートル・長さ4メートル以上の大型組合式石棺が出たことが知られるほか[2][3]、人骨・金銅製鈴数個・鉄鏃・甲・鉄刀・土器・焼米が出土したという(現在は所在不明)[2][1]

この別所大塚古墳は、古墳時代後期の6世紀代の築造と推定される[3]。後期古墳としては奈良県内で有数の規模の古墳になる[1]。付近では別所大塚古墳のほかにも後期大型前方後円墳として石上大塚古墳・ウワナリ塚古墳が分布するが、3基は同様の墳丘規模・石室規模・築造時期であることから類縁関係にあると想定され、一帯の群集墳の盟主墳として物部氏の首長墓とする説が挙げられている[2][4]

墳丘[編集]

周濠
右に後円部、右奥に前方部、左に外堤。

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:125メートル
  • 後円部 - 2段築成。
    • 直径:85メートル
    • 高さ:14メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 幅:105メートル
    • 高さ:15メートル

墳丘は前方部東側で尾根端部を切断することによって構築される[1]。墳丘周囲には周濠が巡らされるが完周せず、前方部東側では切り通しのみで周濠は認められない[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 別所大塚古墳(古墳) 1989.
  2. ^ a b c d 別所大塚古墳(平凡社) 1981.
  3. ^ a b 別所大塚古墳(天理の古墳100) 2015.
  4. ^ 白石太一郎 「古墳からみた物部氏」『古墳の被葬者を推理する(中公叢書)』 中央公論新社、2018年、pp. 253-260。

参考文献[編集]

  • 地方自治体発行
    • 「別所大塚古墳」『天理市の文化財』天理市教育委員会、1990年。 
    • 「別所大塚古墳」『天理の古墳100』天理市教育委員会、2015年。 
  • 事典類
    • 「別所大塚古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301 
    • 杉山秀宏「大塚古墳 > 別所大塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]